デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源盛」の解説 源盛 げんせい 1303-1359* 鎌倉-南北朝時代の僧。嘉元(かげん)元年生まれ。名和長年の弟。天台宗の僧となって信濃房(しなのぼう)と称し,伯耆(ほうき)(鳥取県)大山寺で修行。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年(1333)隠岐(おき)を脱出した後醍醐(ごだいご)天皇を一山の衆徒をひきいてむかえ,京都六波羅(ろくはら)攻めにくわわる。のち懐良(かねよし)親王にしたがい,肥後(熊本県)にうつった。延文3=正平(しょうへい)13年12月13日死去。56歳。俗名は名和行氏。「げんじょう」ともよむ。 源盛 げんじょう ⇒げんせい 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「源盛」の解説 源盛 没年:延文3/正平13.12.13(1359.1.12) 生年:嘉元1(1303) 南北朝期の天台宗の僧。「げんじょう」ともいう。名和長年の弟。正慶2/元弘3(1333)年,後醍醐天皇が隠岐の配所を脱出すると,伯耆国(鳥取県)大山寺の衆徒を率いて馳せ参じ,京都へ上り,六波羅を攻めた。建武政権崩壊後は懐良親王に従い,肥後国(熊本県)八代で寂す。 (三橋正) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by