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滋野井公麗 しげのい きんかず

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美術人名辞典の解説

滋野井公麗

江戸後期の公卿。実全の子。一字名は入。権大納言正二位に至る。天明元年(1781)歿、49才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

滋野井公麗 しげのい-きんかず

1733-1781 江戸時代中期の公卿(くぎょう),有職(ゆうそく)家。
享保(きょうほう)18年11月14日生まれ。滋野井公澄(きんずみ)の孫。宝暦8年参議。明和5年(1768)正二位,権(ごんの)大納言となるが,数ヵ月で辞官。祖父に有職故実をまなび,古記録を調査して「禁秘御抄階梯」「公事根元鈔階梯」などの著作をのこす。大塚蒼梧(そうご)らをそだてた。天明元年9月7日死去。49歳。号は五松亭。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

滋野井公麗

没年:天明1.9.7(1781.10.23)
生年:享保18.11.14(1733.12.19)
江戸中期の有職故実家。号は五松亭。滋野井家は神楽の家であるが,祖父公澄は有職学者として名が高かった。3歳のとき父実全死去により叙爵。元文4(1739)年侍従に任官,明和5(1768)年権大納言にまで昇ったが,数カ月で致仕した。公麗は祖父の薫陶よろしく若くして有職故実を学び,『禁秘御抄階梯』『公事根源鈔階梯』『滋草拾露』『諒闇装束之事』などの著述がある。青蓮院宮の邸で松茸を食べてその帰途頓死したという。門人に大塚嘉樹

(白石良夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

しげのいきんかず【滋野井公麗】

1733‐81(享保18‐天明1)
江戸中期の有職家。権中納言実全の子,権大納言公澄の孫。1739年(元文4)元服・叙爵し,累進して58年(宝暦8)参議,68年(明和5)には正二位権大納言に進んだ。祖父先学を師として有職古典の研究に努め,《禁秘御抄階梯》《公事根元鈔階梯》《滋草拾露》《亮闇和抄》など有職学に関する多くの著作がある。門弟も多く,有職家大塚嘉樹もこの門より出た。【橋本 政宣】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

滋野井公麗
しげのいきんかず

[生]享保18(1733)
[没]天明1(1781)
江戸時代中期の有職故実研究家。権大納言。家伝来の有職故実学を大成。『禁秘抄階梯』『公事根源階梯』などの研究書がある。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

滋野井公麗
しげのいきんかず
(1733―1781)

江戸中期の公家(くげ)、有職故実(ゆうそくこじつ)家。号は五松亭。権中納言(ごんちゅうなごん)実全の子。1758年(宝暦8)参議、中納言を経て68年(明和5)正二位権大納言となり官を辞した。有職故実に詳しく、各種の儀式の先例をまとめた勘例(かんれい)や当時行われた儀式の記録のほか、『禁秘御抄階梯(きんぴみしょうかいてい)』『公事根元鈔楷梯(くじこんげんしょうかいてい)』『滋草拾露(じそうしゅうろ)』などの有職故実書、日記『公麗卿記(きんかずきょうき)』など多数の著書を残す。墓所は京都市北区の天寧(てんねい)寺。[吉田早苗]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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