漢城条約(読み)かんじょうじょうやく(その他表記)Hansǒng choyak

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「漢城条約」の意味・わかりやすい解説

漢城条約
かんじょうじょうやく
Hansǒng choyak

京城条約ともいう。高宗 21 (1884) 年 12月の甲申の変 (→京城事変 ) に関して日本と朝鮮間で取りかわされた条約。甲申の変の事態収拾のため日本は全権大使として外務卿井上馨を派遣し,事変の翌 22年1月7日から朝鮮の全権大臣金弘集と交渉させた。当初は双方の主張が平行線をたどり難航したが,1月9日大要以下の事項を決定して条約が成立した。 (1) 朝鮮政府の対日謝罪,(2) 日本人被害者への賠償金支払い,(3) 日本軍人を殺害した犯人の逮捕と処刑,(4) 朝鮮は日本公使館再建費用を負担する,(5) 公使館守備隊の営舎の設立などで,別条2条から構成されている。なおこのとき朝鮮側が金玉均らの引渡しを要求したこと,条約の早期成立の背後に日本の井上角五郎が暗躍したことはよく知られている (→天津条約 ) 。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「漢城条約」の解説

漢城条約
かんじょうじょうやく

甲申(こうしん)事変に関する日本・朝鮮両国間の善後約定。特派全権大使井上馨(かおる)が金宏集(きんこうしゅう)と漢城(現,ソウル)で交渉し,1885年(明治18)1月9日調印。五款と別単からなる。朝鮮国は,(1)日本に国書で謝罪の意を表し,(2)賠償金11万円を支払い,(3)磯林真三大尉の殺害者を捕らえて処刑し,(4)日本公使館再建費2万円と用地を提供すること,などを約した。日本国内では国権論者などが条件が寛大すぎるとして批判した。

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世界大百科事典(旧版)内の漢城条約の言及

【天津条約】より

… なお,1885年4月の朝鮮問題に関する日清間での条約もある。朝鮮の甲申政変の結果,日朝間で漢城条約を結んだのに対し(1885年1月),天津において伊藤博文と李鴻章のあいだで締結され,朝鮮からの日清両国軍隊の撤兵,両国軍事教官派遣の停止,朝鮮出兵の際の相互事前通告などを決めた。これによって朝鮮出兵に関して日清両国の立場は対等になった。…

※「漢城条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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