トルーマン(読み)とるーまん(英語表記)Harry S. Truman

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トルーマン」の意味・わかりやすい解説

トルーマン(Harry S. Truman)
とるーまん
Harry S. Truman
(1884―1972)

第33代アメリカ合衆国大統領ミズーリ州ラマーに家畜業者の長男として生まれる。高校卒業後、銀行勤務や農業に従事。第一次世界大戦に州兵軍団の砲兵大尉として参加、統率力を発揮した。除隊後、同州インデペンデンスで男子洋品店を開業したが失敗。破産宣告を拒否して負債の返済にあたる一方で、政界に入り、同地帯を支配するトマス・ペンダガストの後押しで、1926年ジャクソン郡裁判所首席判事(行政職)に選出された。1934年には上院議員民主党)としてワシントンに送られ、一貫してルーズベルト政権を支持。1940年にはペンダガストの支持なしで再選され、第二次世界大戦の軍需契約を監視する上院国防計画特別委員会の委員長として活躍、存在を知られた。1944年、ルーズベルトの4選出馬にあたり、党内対立を押さえる妥協候補として副大統領候補となり当選。就任後わずか83日でルーズベルトの死去により、1945年4月、大統領に昇格した。

 外交にはまったく未経験で側近に頼ることが多かったが、決断力を誇示しようとして、ためらわず政策決定を行った。1945年5月にドイツが降伏したあと、ポツダムでの米ソ英首脳会談を経て、広島・長崎への原爆投下を命令、日本に対する勝利をかちとった。ソ連の東欧圏進出に直面すると、ルーズベルトの対ソ協調路線を捨て、共産主義との対決を外交の中心とした。1947年3月、ギリシアトルコに対し4億ドルの援助を要請する議会演説は「トルーマン・ドクトリン」として、ベトナム戦争終結までアメリカ外交の基本路線となった。「冷戦」とよばれる自由主義対共産主義両陣営の対立は、彼の任期の間に始まり深まった。

 1948年の大統領選では党内左右両派が離反し、共和党のデューイ候補が有利と予想されたが「奇跡の逆転」を遂げた。内政面では「フェア・ディール」の名で前任者の路線を継承発展させたが、東欧に次いで中国の共産化によって高まる反共の気運に押され、国家公務員の忠誠登録を実施する一方で、労働者・黒人の権利擁護のために努力した。1950年6月の朝鮮戦争に際し、議会に諮らず米軍による介入を決定、大統領の戦争権限を肥大化させたとのちに批判されるが、現地軍司令官マッカーサーを命令不服従のかどで解任し、文官支配の原理を守ったことは賞賛された。1952年の大統領選には出馬せず、引退。「平凡にして非凡な大統領」として、評価が高まっている。

袖井林二郎

『堀江芳孝訳『トルーマン回顧録』上下(1966・恒文社)』



トルーマン(David Bicknell Truman)
とるーまん
David Bicknell Truman
(1913―2003)

アメリカの政治学者。イリノイ州生まれ。アマースト大学卒業後、シカゴ大学博士号を得た。1939年のベニングトン大学講師を振り出しに、コーネル大学ハーバード大学で講師、ウィリアムズ・カレッジ準教授、コロンビア大学客員準教授、同教授を務め、1963~1967年コロンビア・カレッジ学生部長、1969~1978年マウント・ホリヨーク・カレッジ学長を歴任した。その間1964~1965年アメリカ政治学会会長も務めた。主著に『政治過程論The Governmental Process(1951, Alfred A. Kopf)とThe Congressional Party(1959, John Willey & Sons Inc.)がある。前者では、政治過程論における集団レベルとガバメントの社会心理学的説明を、後者では、連邦議会内の院内総務、常任委員長その他の役割とリンクの分析を行っている。

[小林丈児・村松泰雄 2019年2月18日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トルーマン」の意味・わかりやすい解説

トルーマン
Truman, Harry S.

[生]1884.5.8. ミズーリ,ラマー
[没]1972.12.26. ミズーリ,カンザスシティー
アメリカの政治家。第 33代大統領 (在任 1945~53) 。ミズーリ州の農村で育ち,第1次世界大戦に従軍後,ジャクソン郡裁判所判事となり,34年連邦上院議員に当選。 44年副大統領に選出され,翌年4月 F.ルーズベルトの死に伴い大統領に就任。第2次世界大戦後の困難な時期に反共路線を明確に打出し,47年トルーマン・ドクトリンを宣言,マーシャル・プランによるヨーロッパ復興援助や北大西洋条約機構 NATOの結成をはかるなど封じ込め政策 (→コンテインメント ) を推進した。 48年の大統領選挙戦で一般の予想に反して当選し,フェアディールを唱え社会改革政策に取組む姿勢を示した。しかし中国の共産主義化を背景にマッカーシズムの台頭を許し,50年には朝鮮戦争に武力介入した。 52年満期辞任。著書『回想録』 Memoirs (1955~56) 。

トルーマン
Truman, David B.

[生]1913.6.1. イリノイ,エバンストン
[没]2003.8.28. フロリダ,サラソータ
第2次世界大戦後のアメリカ政治学界の代表的政治学者の一人。コロンビア大学教授,アメリカ政治学会会長などを歴任。 A.F.ベントリーを発展的に継承し,政治過程論を確立した。アメリカの政党,圧力団体についての行動論的・集団理論的研究に成果を残す。以後の多元主義民主主義論に影響を与える。主著『政治過程論』 The Governmental Process: Political Interests and Public Opinion (1951) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報