漢那憲和(読み)カンナ ケンワ

20世紀日本人名事典 「漢那憲和」の解説

漢那 憲和
カンナ ケンワ

大正・昭和期の海軍少将,政治家 衆院議員(日本進歩党)。



生年
明治10(1877)年9月6日

没年
昭和25(1950)年7月29日

出生地
沖縄県那覇

学歴〔年〕
海兵卒

経歴
沖縄尋常中学時代、ストライキ指導して退学処分を受けた。日露戦争で金鵄勲章受章。大正10年巡遊艦「香取艦長(大佐)として皇太子殿下(昭和天皇)の欧州巡遊に随行。2年後少将に昇進、14年予備役。昭和3年第6回衆院選挙に出馬、最高得票で当選、以後当選5回。14年内務政務次官。戦後公職追放されたが、沖縄の復帰運動に尽力、21年10月マッカーサー司令官に嘆願書を出すなど東京で活躍した。著書に「今上陛下の昭和維新」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「漢那憲和」の解説

漢那 憲和
カンナ ケンワ


肩書
衆院議員(日本進歩党)

生年月日
明治10年9月6日

出生地
沖縄県那覇

学歴
海兵卒

経歴
沖縄尋常中学時代、ストライキを指導して退学処分を受けた。日露戦争で金鵄勲章受章。大正10年巡遊艦「香取」艦長(大佐)として皇太子殿下(昭和天皇)の欧州巡遊に随行。2年後少将に昇進、14年予備役。昭和3年第6回衆院選挙に出馬、最高得票で当選、以後当選5回。14年内務政務次官。戦後公職追放されたが、沖縄の復帰運動に尽力、21年10月マッカーサー司令官に嘆願書を出すなど東京で活躍した。著書に「今上陛下の昭和維新」がある。

没年月日
昭和25年7月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「漢那憲和」の解説

漢那憲和 かんな-けんわ

1877-1950 大正-昭和時代軍人,政治家。
尚泰王30年9月6日生まれ。沖縄中学在学中,校長排斥ストを伊波普猷(いは-ふゆう)らと指導。海軍にはいり,軍令部参謀,海軍大学校教官などをへて,大正10年御召艦香取の艦長として皇太子(昭和天皇)のヨーロッパ巡行に随伴。少将で退役し,昭和3年衆議院議員(当選5回,日本進歩党)。昭和25年7月29日死去。72歳。琉球出身。海軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「漢那憲和」の解説

漢那 憲和 (かんな けんわ)

生年月日:1877年9月6日
大正時代;昭和時代の海軍軍人;政治家。少将;衆議院議員(日本進歩党)
1950年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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