日本大百科全書(ニッポニカ) 「火耕水耨」の意味・わかりやすい解説
火耕水耨
かこうすいどう
漢、六朝(りくちょう)期の中国江南地方に行われたとされる農法。従来からさまざまな解釈があるが、その内容はよくわからない。後漢(ごかん)の応劭(おうしょう)は「草を焼き水を入れて稲を種(う)えると、草と稲とがともに成長する。その高さが7、8寸になったところで、ことごとく刈り取ってさらに水を灌(そそ)ぐと、草は死んで稲だけが成長する。いわゆる火耕水耨である」と解釈している。応劭自身がそれをいわゆる火耕水耨と述べるように、もっとも詳細な彼の解釈でさえ、その実態を表すものであるかどうか疑問が残る。晋(しん)の杜預(どよ)はそれを開墾地における農法とみなしているが、華北の先進畑作農法に比べて集約化の遅れた後進的な江南農業を古代中国人が象徴的に言明したものと考えるのが妥当であろう。
[渡辺信一郎]
『西嶋定生著『中国経済史研究』(1966・東京大学出版会)』▽『西山武一著『アジア的農法と農業社会』(1969・東京大学出版会)』