熱田村(読み)あつたむら

日本歴史地名大系 「熱田村」の解説

熱田村
あつたむら

[現在地名]中城熱田あつた

現北中城村の南東部に位置し、東は中城なかぐすく湾に面し、南は久場くば(現中城村)、西は和仁屋わな村に接する。アッタとよばれる。勝連かつちん間切から移住した屋号根所にーどうくるの先祖によって村立てされたという。住民は字渡口とぐち北西にある宮城なーぐしく御願から渡口公民館南西側の米須くみし嶽に移り、そこから現住地に移動してきた仲門・浜川・徳門の三門中の人々が多いとされる。米須嶽には火神が祀られ、現在でもウマチーには熱田の古島の御嶽として拝まれている。「琉球国由来記」「琉球国旧記」に村名がみえる。「南島風土記」は中城なかぐしく間切から前普天間めーふていま村・寺普天間ていらふていま(現宜野湾市)宜野湾じのーん間切に割いたのに伴い熱田・比嘉ひじや二村を新設したとするが、はっきりしない。


熱田村
あつたむら

[現在地名]浜田市熱田町・笠柄町かさがらちよう

長浜ながはま村の東に位置し、北は日本海に面する。中世小石見こいわみ郷のち周布すふ郷に属し、安田・阿田とも記された。正平九年(一三五四)七月二二日の三隅信性譲状(閥閲録)によると、地頭三隅兼連が「小石見郷内安田・福井両村并葛原畑地頭職」を孫娘の千福に譲っており、このうち安田村・福井ふくい村が当地に比定される。千福は周布郷地頭周布兼氏に嫁していたため、これらの所領は周布氏に移行していったとみられ(正平一四年六月三日「足利直冬安堵状」同書)、至徳二年(一三八五)八月七日の大内弘茂知行宛行状(同書)では、周布因幡入道に周布郷のうち「安田・福井并荏原」として安堵されている。


熱田村
あつたむら

[現在地名]見附市熱田町・しん町三丁目・南本みなみほん町二―三丁目・双葉ふたば町・みどり

名木野なぎの村の北と西。名木野村新田といわれ、正保国絵図に「名木野新田」高一八四石余とみえる村であろうか。天和元年(一六八一)の栃尾組高人別納物帳(稲田理八氏蔵)では高二五二石六斗余、家数一五、男六二・女四七。天保一二年(一八四一)の村明細帳(五十嵐喜一氏蔵)では高一三三石二斗余・反別三一町五反余、家数三〇(うち割元格一・百姓二〇・名子九)、社家一、男七〇・女七三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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