百科事典マイペディア 「朴趾源」の意味・わかりやすい解説
朴趾源【ぼくしげん】
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朝鮮、李朝(りちょう)時代の文学者、思想家。字(あざな)は仲美、号は燕巌(えんがん)。ソウルの生まれ。名門の出だが、儒教の形式主義的な教義を嫌って科挙に応ぜず、もっぱら実学思想の研究と普及に努めた。30歳のとき実学の大家洪大容(1731―1783)の知遇を得て自然科学に熱中、西洋の文明に目を開く。1780年、朴明源(1725―1790)の随行員として清(しん)に赴き見聞を広め、帰国後、紀行記『熱河日記』を著述、当時の思想界に大きな波紋を投げかけた。50歳のとき初めて官につくが、農政に関する王の諮問を受けて提出した『課農小抄』は、土地所有の制限と農政改革を主張したことで有名。短編小説の作者でもあり、『両班(ヤンバン)伝』『広文者伝』『許生伝』『閔翁(びんおう)伝』などが『放閣(ほうけいかく)外伝』『燕巌集』『燕巌外集』などに収録されている。これらの作品は、無能な両班支配者たちに対する痛烈な揶揄(やゆ)と風刺で貫かれており、近代への幕開きを予兆している。
[尹 學 準 2016年10月19日]
『今村与志雄訳『熱河日記1・2』(平凡社・東洋文庫)』
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…これらの使節は,属国の朝鮮が宗主国の清に臣下の礼をとるためという儀礼的なもの以外に,経済的には使節の往復に伴って貿易が行われ,文化的には清の先進文化に朝鮮の知識人が直接触れることができるという意味があった。洪大容,朴趾源(旅行記《熱河日記》を残す),朴斉家,金正喜らは,燕行使に随行して清の学者と交流した体験から北学論を唱え,朝鮮の実学の展開に大きく寄与した。李承薫が朝鮮人として北京で最初に洗礼を受けた(1784)のも燕行使の随員としてである。…
…実学は祖国を富強にすべく愛国的で開明的な両班知識人たちが提起した社会改革案=時務策を本領とするが,田制改革や社会制度・教育制度の改革から,生産技術の改良,運輸交通手段の整備を説く産業振興策(通商貿易策を含む),そのために必要な外国(中国と西洋)の先進的学問の摂取と研究(天文暦学,世界地理学ほか)および自国の実情把握のための朝鮮歴史・地理・言語研究までを含む広範囲な領域に及んだ。金堉(きんいく),柳馨遠(りゆうけいえん),李瀷(りよく),安鼎福,洪大容,朴趾源(ぼくしげん),朴斉家,丁若鏞(ていじやくよう)(茶山),金正喜らが代表的実学者である。彼らの多くは科挙のための学問を早くから断念し,実際的な学問研究に旺盛に取り組んだ百科全書家的なスケールの持主であった。…
…朝鮮,李朝末期の実学派の巨匠朴趾源が,1780年に清の乾隆帝の古稀を祝う燕行使(正使朴明源)に随行し,熱河(現在の河北省承徳市)に往来したときの見聞や清朝文人たちとの筆談を収録した日記体の文集。〈利用厚生〉のための北学論を展開した朴趾源の思想の書であり,また紀行文学の白眉として高く評価されている。…
※「朴趾源」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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