片桐竜子(読み)カタギリ リュウコ

20世紀日本人名事典 「片桐竜子」の解説

片桐 竜子
カタギリ リュウコ

大正・昭和期の教育者 片桐高等女学校長



生年
明治23(1890)年5月18日

没年
昭和38(1963)年5月27日

出生地
愛知県北設楽郡薗村(現・東栄町)

旧姓(旧名)
原田

学歴〔年〕
渡辺女子専門学校〔明治43年〕卒

経歴
7歳の時に盆踊り提灯頭上に落下し大けがを負うが、母の看護で奇跡的に回復し、以来、社会奉仕を志す。明治43年東京の渡辺女子専門学校を卒業したのち、27歳で片桐竜三郎と結婚。大正7年岐阜市に岐阜裁縫専門学校を開校、14年には岐阜実科高等女学校に改称し、校長となった夫を助けて子女の教育に当たった。その傍ら、国家と家庭の幸福を願い、全国で講演活動を展開。また、15年には月刊誌「御国の華」を刊行するなど、著述にも従事した。15年夫が没すると片桐高等女学校(岐阜実科高等女学校より改称)の校長に就任。戦後、公職追放に遭ったため引退。著書に「日本婦人の使命と其修養」「心の華」「国境を越えて」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片桐竜子」の解説

片桐竜子 かたぎり-りゅうこ

1890-1963 大正-昭和時代の教育者。
明治23年5月18日生まれ。大正7年岐阜裁縫女学校(現済美女子高)を設立。講演,著述にも活躍した。昭和38年5月27日死去。73歳。愛知県出身。東京裁縫女学校(現東京家政大)卒。旧姓は原田。著作に「日本婦人の使命と其修養」「国境を越えて」など。
格言など】人々の心に,まごころと人類愛が芽生えれば平和な社会が実現する(信条)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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