常陸国(ひたちのくに)河内(かっち)郡城中(じょうちゅう)村に置かれていた藩。現在の茨城県牛久市城中の周辺。藩主は譜代(ふだい)山口氏。1601年(慶長6)山口重政(しげまさ)が上総国(かずさのくに)(千葉県)内と牛久に各5000石を与えられたのが藩成立の端緒。のち5000石加増されるが、一時改易され、1629年(寛永6)遠江(とおとうみ)国(静岡県)と常陸国牛久に1万5000石で復旧する。1669年(寛文9)2代弘隆(ひろたか)は弟重恒(しげつね)に5000石を分与して、牛久藩1万石を領し、以来廃藩まで続く。菊之間詰めで大坂定番(じょうばん)、大番頭(おおばんがしら)などに任ぜられる。幕末期の家臣数154人、領地は牛久、新治(にいはり)、下妻、馴馬(なれうま)領など34か村、総石高1万2200石であった。1871年(明治4)廃藩、牛久県、新治県を経て、1875年茨城県に統合。
[佐久間好雄]
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