牛島謹爾(読み)うしじまきんじ

精選版 日本国語大辞典 「牛島謹爾」の意味・読み・例文・類語

うしじま‐きんじ【牛島謹爾】

  1. 福岡県出身明治三〇年(一八九七アメリカ単身で渡り、カリフォルニア荒地を開いて、馬鈴薯王と呼ばれ、在米日本人会長として日米親善にも尽くした。元治元~大正一五年(一八六四‐一九二六

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20世紀日本人名事典 「牛島謹爾」の解説

牛島 謹爾
ウシジマ キンジ

明治・大正期の馬鈴薯王 在米日本人会長。



生年
文久4年1月6日(1864年)

没年
大正15(1926)年3月27日

出生地
筑後国鳥飼村(福岡県久留米市)

学歴〔年〕
東京高商予科(現・一橋大学教養学部)卒

経歴
東京高商本科試験に落第し、明治30年頃実業家を志し渡米。サンフランシスコ近郊のサンノーキンで働きながら英語を学び、耕作は無理といわれた河の大三角州を開墾してジャガイモ栽培に成功。次々と近隣の荒地を開墾、大ジャガイモ農園を作り、「ポテト王」と呼ばれた。また初代在米日本人会会長をつとめ、日米親善にも努力した。

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改訂新版 世界大百科事典 「牛島謹爾」の意味・わかりやすい解説

牛島謹爾 (うしじまきんじ)
生没年:1864-1926(元治1-昭和1)

アメリカ移民の大立物。福岡県久留米在の人。1888年渡米,はじめサンフランシスコのアメリカ人家庭で働きながら英語を学ぶ。のちカリフォルニア州ストックトン地方の荒地を開拓して,苦闘のすえ良種のジャガイモの大量生産に成功,6万エーカーを超す大農園を起こし〈ポテト王〉とよばれた。また1908年に結成された在米日本人会の初代会長として,排日運動緩和につとめるなど,大きな功績をあげた。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牛島謹爾」の解説

牛島謹爾 うしじま-きんじ

1864-1926 明治-大正時代の移民。
文久4年1月6日生まれ。明治21年渡米。カリフォルニア州ストックトンの沼地をひらき,ジャガイモの大量生産に成功。「ポテト王」とよばれた。在米日本人会の初代会長として排日問題の対応にあたった。大正15年3月27日死去。63歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身。

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367日誕生日大事典 「牛島謹爾」の解説

牛島 謹爾 (うしじま きんじ)

生年月日:1864年1月6日
明治時代;大正時代のアメリカ移民。在米日本人会初代会長
1926年没

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