牛飼村(読み)うしかいむら

日本歴史地名大系 「牛飼村」の解説

牛飼村
うしかいむら

[現在地名]森町牛飼

石川いしかわ村の東にあり、太田おおた川右岸、円田えんでん平野の中央に位置する。豊田とよだ郡に属し、東は太田川を越えて上山梨かみやまなし(現袋井市)、南は沖山梨おきやまなし深見ふかみ(現同上)。永禄四年(一五六一)六月二〇日の今川氏真判物写(「今川一族向坂家譜」大阪府立中之島図書館蔵)に「牛飼」とみえ、匂坂長能が三河牛久保城(現愛知県豊川市)の在番を命ぜられたのに伴い、新知行を宛行われたうえ在城料として当地などの棟別等が免除された。同九年九月二八日、長能の子吉政は氏真から牛飼村など計七五〇貫文の地を安堵されている(「今川氏真判物写」同家譜)


牛飼村
うしかいむら

[現在地名]小牛田町牛飼

江合えあい川右岸の小丘陵を中心に立地。東は南小牛田みなみこごた村、南・西は北浦きたうら村、北は江合川を介して平針ひらばり村。丘陵の南縁と西縁をめぐる小径は古道と伝えられ、あずま街道の通称をもつ。村名は「和名抄」にみえる小田おだ牛甘うしかい郷の遺称とされる。また村名由来として長者伝説がある。当村の伊藤孫右衛門という者は欺かれて旅僧に寄食をさせたが、やがて僧は徒食の罰によって牛となった。その牛は耕作のためによく働き孫右衛門は長者となり、牛飼長者とよばれ、村名も牛飼となったといわれる。


牛飼村
うしかいむら

[現在地名]水口町牛飼

杣中そまなか村の西にあり、北東杣川が北西流、西は飯道はんどう山に続く山地。信楽道が通り、信楽谷の谷口集落。慶長五年(一六〇〇)旗本横田・神保・美濃部三氏の五給。寛永石高帳では高七二一石余、横田分が幕府領となり、ほか神保および美濃部四氏の六給。正保二年(一六四五)の小里村他七村絵図書上間数帳(佐治文書)によれば幕府領一二一石余・旗本神保領一一九石余・同美濃部三郎兵衛領一一九石余・同一郎左衛門領一二三石余・同権之介領一一七石余・同八蔵領一二〇石余・同与藤次領一一八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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