狩川城跡(読み)かりかわじようあと

日本歴史地名大系 「狩川城跡」の解説

狩川城跡
かりかわじようあと

[現在地名]立川町狩川 楯山

庄内平野の東部、羽黒山より北へ、最上川近くまで張出した丘陵の先端、たて(五七メートル)に位置した中世の山城跡。狩川館・楯山城ともいう。南北朝期、庄内における南朝方の拠点として部将斎藤新九郎俊氏が城を築き、北朝方に備えたというが確証はない。上杉氏の検地直江兼続によって実施されたとき、検地反対一揆の一拠点となったという。慶長六年(一六〇一)最上義光が庄内を領有すると、江戸街道を眼下にし、川南過半を展望でき、しかも最上口を扼する要衝の地である当城の城番に北楯(館)大学助利長を配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む