玉前庄・一宮庄(読み)たまさきのしよう・いちのみやのしよう

日本歴史地名大系 「玉前庄・一宮庄」の解説

玉前庄・一宮庄
たまさきのしよう・いちのみやのしよう

一宮町・睦沢むつざわ町を中心とし、夷隅いすみみさき町にわたる地域に比定される。上総国一宮玉前神社の神領を基盤に成立、玉崎庄とも書き、南北朝時代以降は一宮庄とよばれた。

〔玉前庄〕

永万元年(一一六五)六月の神祇官諸社年貢注文(永万文書)に玉綺社とみえる。神祇官を本所とする一方、鳥羽天皇皇女の上西門院の所領となり、後白河天皇皇女の宣陽門院に伝領された(「宣陽門院覲子内親王所領目録」島田文書)。なお「本朝世紀」康治二年(一一四三)八月一一日条によれば、玉前社社務執行の源為季が神罰により頓死したという。一二世紀末には両総平氏嫡流の上総氏が庄内大柳おおやぎ(現睦沢町)を居館としていたと考えられ、当庄は上総氏が本領として在地支配にあたっていたものとみられる。上総氏は権介職を帯する当国の最有力在庁官人であり、一宮社家を兼ねていたことも想定しうる。寿永元年(一一八二)七月上総権介広常は一宮玉前に三ヵ年のうちに神田二〇町の寄進社殿造営、万度の流鏑馬を射ることを約して源頼朝の武運長久・東国泰平を祈願している(「吾妻鏡」元暦元年正月一七日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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