玉置山(読み)タマキヤマ

日本歴史地名大系 「玉置山」の解説

玉置山
たまきさん

[現在地名]十津川村大字玉置川

大峰山脈最南端の山。標高は一〇七六・四メートル。東は北山きたやま川と支流くず川、西と南は十津川と支流の芦廼瀬あしのせ川によって囲まれている。岩質は石英斑岩からなっている。「大和志」に「在玉井川村西北一里峯巒森列有月見窟中山土室等別峯」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の玉置山の言及

【十津川[村]】より

…十津川郷士は南朝の遺臣と伝え,幕末の天誅組の挙兵には多数の郷士がかかわった。1871年(明治4)全戸が士族に列し,また廃仏毀釈により大峰修験の行場であった玉置(たまき)山(別当,高牟婁院)を玉置神社とし,全村の寺を廃している。89年8月,十津川の水害により大被害をうけ,数百戸が北海道に移住,新十津川村(現,空知支庁新十津川町)をつくった。…

※「玉置山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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