王延徳(読み)おうえんとく(英語表記)Wáng Yán dé

改訂新版 世界大百科事典 「王延徳」の意味・わかりやすい解説

王延徳 (おうえんとく)
Wáng Yán dé
生没年:939-1006

中国,宋初期の人。河北省大名出身。981年(太平興国6),西ウイグル王国来貢を機会としてその地に派遣された。同年5月に出発した一行オルドスを北行して黄河を越え,ユチュケン山経由で伊州に出て翌年4月高昌に達した。同じ経路で984年(または985)に帰国。その報告書《西州程記(高昌行紀)》は抄本しか残存しないが,きわめて史料の少ない当時の西ウイグル王国の内部生活,対外関係,経路上の概況など貴重な記録である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王延徳」の意味・わかりやすい解説

王延徳
おうえんとく
Wang Yan-de; Wang Yen-tê

[生]天福4(939)
[没]景徳3(1006)
中国,宋初の武官。大名県 (河北省) の人。宮廷護衛の殿前承旨,供奉官を経て左千牛衛上将軍となる。宋の太宗の命で,西ウイグルの高昌国に派遣され (981~984) ,帰国後その見聞記『西州程紀 (高昌行紀) 』を著わした。これは 10世紀末の内陸アジア形勢を示す貴重な史料として知られる。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「王延徳」の解説

王延徳(おうえんとく)
Wang Yande

939~1006

宋の廷臣。朝貢してきた西ウイグル王国に派遣された(981~984年)。往復路のモンゴル高原諸族の慰撫(いぶ)や,王との会見,王国の実情視察は,契丹(きったん)に対抗する宋の外交戦略であった。報告書『西州程記』は宋史などに収録されている。

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