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高昌国 こうしょうこくGao-chang-guo; Kaoch`ang-kuo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高昌国
こうしょうこく
Gao-chang-guo; Kaoch`ang-kuo

5~7世紀なかばにかけて,現在の中国,シンチヤン (新疆) ウイグル (維吾爾) 自治区の東部に位置するトゥルファン (吐魯番) 盆地を中心として栄えた国家。トゥルファン盆地天山山脈の東部にあり,漢代以来中国人の植民が行われた。 439年に北涼 (→ ) が北魏に滅ぼされると一族の沮渠無諱は西走して高昌に国を建てた (442) 。その後,幾人かの支配者が交代したが,498年に麹嘉 (きくか) が国王となり,その子孫がその後 140年余にわたって王となった。住民はイラン系であったが,支配階級が漢人であったため,中国の文化が行われた。 640年に唐は高昌国を滅ぼし直轄領としたが,その後この地方はウイグル (回鶻) 族の勢力下に入った。西域交通の北路にあたったため,仏教も早くから伝わって一中心地となり,仏像やサンスクリット語,胡語 (西域の諸言語) の経典が,19世紀以降の探検により発見されている。

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世界大百科事典内の高昌国の言及

【アスターナ】より

…20世紀初頭に大谷探検隊やイギリスのスタインが発掘を行い,第2次大戦後,中国の学者によりたびたび調査が行われている。墓は地下に斜めに墓道をくりぬいて墓室を営んだ中国風のもので,それらは北朝の高昌郡時代,高昌国時代,唐代の西州時代のものの3時期に分けられる。高昌国時代の墓からは,高昌国の年号を記した墓誌や伏羲女媧の絹画が出土している。…

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