高昌国(読み)こうしょうこく(その他表記)Gao-chang-guo; Kaoch`ang-kuo

山川 世界史小辞典 改訂新版 「高昌国」の解説

高昌国(こうしょうこく)
Gaochang

5世紀中頃から約200年間にわたり,中央アジアのトゥルファン(新疆(しんきょう)ウイグル自治区の吐魯番地区)を支配した王国。五胡十六国の一つ,北涼滅亡に伴い,その王族である沮渠無諱(しょきょむき)が中央アジアに西走し,442年にトゥルファンを占拠して涼王を称したのに始まる。高昌国とは,この沮渠氏高昌国(442~460)をはじめ,闞氏(かんし)高昌国(460~488),張氏(ちょうし)高昌国(488~496),馬氏(ばし)高昌国(496~501),および麹氏(きくし)高昌国(501~640)の総称である。高昌国では,絶えず柔然(じゅうぜん)高車(こうしゃ)鉄勒(てつろく),および突厥(とっけつ)など北アジアの遊牧勢力の侵寇に悩まされており,6世紀には北魏への帰属も計画された。天山山脈南麓のトゥルファンは交通の要衝だったので,漢族のほか,交易のために多くのソグド人が来住し,多彩な文化が成立した。しかし7世紀に即位した麹文泰(きくぶんたい)が王権の強化に努め,西突厥と連携して唐の対中央アジア政策に対抗したため,640年,唐によって滅ぼされた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高昌国」の意味・わかりやすい解説

高昌国
こうしょうこく
Gao-chang-guo; Kaoch`ang-kuo

5~7世紀なかばにかけて,現在の中国,シンチヤン (新疆) ウイグル (維吾爾) 自治区の東部に位置するトゥルファン (吐魯番) 盆地を中心として栄えた国家。トゥルファン盆地は天山山脈の東部にあり,漢代以来中国人の植民が行われた。 439年に北涼 (→ ) が北魏に滅ぼされると一族の沮渠無諱は西走して高昌に国を建てた (442) 。その後,幾人かの支配者が交代したが,498年に麹嘉 (きくか) が国王となり,その子孫がその後 140年余にわたって王となった。住民はイラン系であったが,支配階級が漢人であったため,中国の文化が行われた。 640年に唐は高昌国を滅ぼし直轄領としたが,その後この地方はウイグル (回鶻) 族の勢力下に入った。西域交通の北路にあたったため,仏教も早くから伝わって一中心地となり,仏像やサンスクリット語,胡語 (西域の諸言語) の経典が,19世紀以降の探検により発見されている。

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世界大百科事典(旧版)内の高昌国の言及

【アスターナ】より

…20世紀初頭に大谷探検隊やイギリスのスタインが発掘を行い,第2次大戦後,中国の学者によりたびたび調査が行われている。墓は地下に斜めに墓道をくりぬいて墓室を営んだ中国風のもので,それらは北朝の高昌郡時代,高昌国時代,唐代の西州時代のものの3時期に分けられる。高昌国時代の墓からは,高昌国の年号を記した墓誌や伏羲女媧の絹画が出土している。…

※「高昌国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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