王芸生(読み)おううんせい(その他表記)Wang Yun-sheng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王芸生」の意味・わかりやすい解説

王芸生
おううんせい
Wang Yun-sheng

[生]光緒25(1899).河北
[没]1980.5.30. 北京
中国ジャーナリスト日本研究家。第2次世界大戦前『大公報』の主筆を長い間つとめ,1932~34年全7巻の大著『六十年来の中国と日本』を書き,日中修好条規が締結された 1871年からの日中関係を外交史的に叙述した (実際には,1919年のパリ講和会議までで第7巻は終っている) 。第2次世界大戦後,日本を訪れて『日本半月』を著わし,1948年末共産党地区に入り,49年中華新聞工作者代表として人民政治協商会議参加。 54年新聞出版界代表として第2回人民政治協商会議全国委員に選ばれた。 56年第2回原水爆禁止世界大会に中国代表として来日し,帰国後『大公報』に日本紀行を連載した。大公報社社長もつとめ,65年人民政治協商会議第4期全国委員会常務委員に選ばれ,73年中日友好協会副会長となった。 75年全国人民代表大会主席団員。 79年人民政治協商会議第5期全国委員会常務委員に再選された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「王芸生」の意味・わかりやすい解説

王芸生
おううんせい / ワンユンシエン
(1901―1980)

中国のジャーナリスト、日本問題専門家。1928~1942年『大公報』の編集長、社長を務め、中国でもっとも著名な言論人として知られた。若いころ天津(てんしん)で共産党地下活動に携わったことがあり、第二次世界大戦後、中国共産党に参加、ふたたび『大公報』編集長となった。文化大革命中は失脚、1973年以降、日中友好協会副会長などを務めた。著書に『六十年来の中国と日本』などがある。

[小松原久夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「王芸生」の解説

王芸生 おう-うんせい

1901-1980 中国のジャーナリスト。
光緒27年8月14日生まれ。1928年から1942年まで「大公報」の編集長,社長をつとめ,日本問題の専門家として知られた。戦後中国共産党にはいり,1973年日中友好協会副会長。1980年5月30日死去。80歳。著作に「六十年来の中国と日本」など。

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