中国の日刊新聞。1902年6月、満洲族の英斂之(インリエンジ)によって天津(てんしん)で創刊された。25年11月に停刊となったが、26年9月再刊され、やがて上海(シャンハイ)の『申報(しんぽう)』と並ぶ有力紙となった。その紙面編集は、日本の『朝日新聞』を参考にして一面に重要な記事を集め、ときには写真も載せた、当時の中国では斬新(ざんしん)なものであった。抗日戦争中は漢口、重慶(じゅうけい)、桂林(けいりん)、香港(ホンコン)などでも発行。戦後、上海と香港で復刊されたが、上海『大公報』は天津『進歩日報』(以前の天津『大公報』の改組紙)との合併により、発行所を天津に移した。56年、公私合営となり北京(ペキン)に移ったのち、文化大革命下の新聞界改組の影響を受け、66年9月『前進報』と題号をかえ、縮小発行したが、67年末休刊になった。
[鈴木ケイ]
『徐鋳成著、李克世訳『中国報道界のうらばなし』正続(1983・第一書房)』
中国の新聞。1902年(光緒28)に天津で創刊,改良主義に立ったが,17年に安徽派の喉舌となる。その後押しで中国最初の近代的通信社,国聞通訊社(1921-37,その刊行誌が《国聞週報》)ができた。26年以後,国民党政学系に属し,中国新聞界でもっとも重要な新聞の一つとなった。31年に上海版,38年に香港版(現在も続いている)等も出した。記者には張季鸞,王芸生(おううんせい)など名士が多い。文化大革命直前まで北京で発行されていたのは,解放前の系譜につらなるものである。
執筆者:狭間 直樹
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