大公報(読み)ダイコウホウ

デジタル大辞泉 「大公報」の意味・読み・例文・類語

だいこうほう【大公報】

中国日刊新聞。1902年、天津創刊上海の「申報しんぽう」と並ぶ有力紙となる。日本の新聞参考にし、写真掲載。1949年、共産党に接収されて「進歩日報」と改題。1953年、上海大公報と合併して大公報の原名復帰。1966年「前進報」と改題し、翌年末に廃刊

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精選版 日本国語大辞典 「大公報」の意味・読み・例文・類語

だいこうほう【大公報】

  1. 中国の日刊新聞。一九〇二年、天津で創刊。第二次世界大戦直後、香港と上海で復刊。上海「大公報」はのち合併して五六年北京「大公報」(官民共営)となり、六六年文化大革命時に「前進報」と改題したが、紅衛兵によって封鎖され廃刊。香港「大公報」は存続

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大公報」の意味・わかりやすい解説

大公報
だいこうほう / ターコンパオ

中国の日刊新聞。1902年6月、満洲族の英斂之(インリエンジ)によって天津(てんしん)で創刊された。25年11月に停刊となったが、26年9月再刊され、やがて上海(シャンハイ)の『申報(しんぽう)』と並ぶ有力紙となった。その紙面編集は、日本の『朝日新聞』を参考にして一面に重要な記事を集め、ときには写真も載せた、当時の中国では斬新(ざんしん)なものであった。抗日戦争中は漢口重慶(じゅうけい)、桂林(けいりん)、香港(ホンコン)などでも発行。戦後、上海と香港で復刊されたが、上海『大公報』は天津『進歩日報』(以前の天津『大公報』の改組紙)との合併により、発行所を天津に移した。56年、公私合営となり北京(ペキン)に移ったのち、文化大革命下の新聞界改組の影響を受け、66年9月『前進報』と題号をかえ、縮小発行したが、67年末休刊になった。

[鈴木ケイ]

『徐鋳成著、李克世訳『中国報道界のうらばなし』正続(1983・第一書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「大公報」の意味・わかりやすい解説

大公報 (だいこうほう)
Dà gōng bào

中国の新聞。1902年(光緒28)に天津で創刊,改良主義に立ったが,17年に安徽派の喉舌となる。その後押しで中国最初の近代的通信社,国聞通訊社(1921-37,その刊行誌が《国聞週報》)ができた。26年以後,国民党政学系に属し,中国新聞界でもっとも重要な新聞の一つとなった。31年に上海版,38年に香港版(現在も続いている)等も出した。記者には張季鸞,王芸生(おううんせい)など名士が多い。文化大革命直前まで北京で発行されていたのは,解放前の系譜につらなるものである。
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百科事典マイペディア 「大公報」の意味・わかりやすい解説

大公報【だいこうほう】

1902年天津で英剣之が創刊した中国の代表的新聞。上海,香港など各版を発行,国際問題の報道・評論にすぐれ,経済記事も重視した。1949年中国解放とともに天津版は《進歩日報》と改題,同紙は1953年上海版《大公報》と合併して再び《大公報》と改題,1957年には朝刊約28万部を発行。1966年《前進報》と改題したが同年末廃刊。香港版《大公報》は続いており,発行部数13万(1998)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大公報」の意味・わかりやすい解説

大公報
だいこうほう
Dai-gong-bao

中国の代表的な新聞。 1902年天津で創刊され,やがて上海,ホンコン,漢口,桂林,重慶の各版が発行された。 49年2月に中国共産党軍が天津を解放したとき接収され,『進歩日報』と改題された。 53年に『上海大公報』と合併して『大公報』の題号に復し,56年には公私共営となり,翌年北京に移転した。文化大革命中の 66年9月『前進報』と改称したが,同年紅衛兵によって発行を停止された。

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