珍田捨巳(読み)チンダ ステミ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「珍田捨巳」の解説

珍田 捨巳
チンダ ステミ


肩書
侍従長,枢密顧問官

生年月日
安政3年12月24日(1857年)

出生地
陸奥国弘前(青森県弘前市)

学歴
東奥義塾 アスベリー大学〔明治14年〕卒

経歴
津軽藩士の家に生まれ、藩学校を経て、東奥義塾に学ぶ。同義塾の第1回留学生として米国のアスベリー大へ留学。明治18年大隈重信推挙外務省入り。各国の領事公使歴任後、外務総務長官、外務次官を経て、41年駐独大使となり、条約改正の実現に尽力した。その後、駐米大使、駐英大使を歴任。この間、第一次大戦後の大正8年パリ講和会議に全権大使として出席。9年枢密顧問官に任ぜられ、10年宮内省御用掛となり、まだ皇太子だった昭和天皇の半年間の訪欧随行。皇太子の信任あつく東宮大夫となり、13年の結婚の儀を挙行。昭和2年3月から4年1月まで侍従長を務め、天皇の即位礼を挙行した。

没年月日
昭和4年1月16日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「珍田捨巳」の解説

珍田 捨巳
チンダ ステミ

明治〜昭和期の外交官,伯爵 侍従長;枢密顧問官。



生年
安政3年12月24日(1857年)

没年
昭和4(1929)年1月16日

出生地
陸奥国弘前(青森県弘前市)

学歴〔年〕
東奥義塾,アスベリー大学〔明治14年〕卒

経歴
津軽藩士の家に生まれ、藩学校を経て、東奥義塾に学ぶ。同義塾の第1回留学生として米国のアスベリー大へ留学。明治18年大隈重信の推挙で外務省入り。各国の領事、公使を歴任後、外務総務長官、外務次官を経て、41年駐独大使となり、条約改正の実現に尽力した。その後、駐米大使、駐英大使を歴任。この間、第一次大戦後の大正8年パリ講和会議に全権大使として出席。9年枢密顧問官に任ぜられ、10年宮内省御用掛となり、まだ皇太子だった昭和天皇の半年間の訪欧に随行。皇太子の信任あつく東宮大夫となり、13年の結婚の儀を挙行。昭和2年3月から4年1月まで侍従長を務め、天皇の即位礼を挙行した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「珍田捨巳」の意味・わかりやすい解説

珍田捨巳【ちんだすてみ】

外交官。陸奥(むつ)弘前藩士の出。東奥義塾に学び,米国留学後,大隈重信知遇を得て外務省に入る。独・英・米大使などを歴任し,関税自主権獲得のための条約改正努力。1919年パリ講和会議に全権委員として出席。功により伯爵。のち枢密顧問官,侍従長。

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367日誕生日大事典 「珍田捨巳」の解説

珍田 捨巳 (ちんだ すてみ)

生年月日:1857年12月24日
明治時代-昭和時代の外交官。東宮大夫
1929年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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