琉球・米国修好条約

山川 日本史小辞典 改訂新版 「琉球・米国修好条約」の解説

琉球・米国修好条約
りゅうきゅう・べいこくしゅうこうじょうやく

琉米修好条約とも。1854年アメリカ合衆国全権大使ペリーが首里王府と結んだ条約日米和親条約と別個に締結された事実は,近世琉球が独自の王国として存在したことを示す。調印書に条約名の掲出はなく,英・漢両文の7カ条からなる。(1)物品相対売買,(2)アメリカ船への薪水供給,(3)難破船救助,(4)自由遊歩,(5)アメリカ人墓地の設置と保護,(6)アメリカ船への水先案内,(7)薪水代価などを規定。1872年(明治5)の琉球藩設置後,米国公使デ・ロングの照会に対し,日本の外務省は琉米条約を維持遵行することを言明しており,琉球の外交権および外交事務を吸収合併した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む