日本大百科全書(ニッポニカ) 「琉米修好条約」の意味・わかりやすい解説
琉米修好条約
りゅうべいしゅうこうじょうやく
1854年7月11日、米国全権大使ペリーと琉球王国との間に締結された条約。英文、漢文二通が作成され、全文七か条よりなる。訪琉米人の厚遇、必要物資・薪水(しんすい)の供給、泊(とまり)外人墓地の保全、難破船乗組員の保護、米船舶に対する水先案内などの諸義務規定をその内容とする。ペリー艦隊は53年5月琉球に初めて来航して以来前後4回にわたって琉球を訪れたが、東アジアに占める琉球の地理的重要性に着目し、同地を拠点の一つとして確保するため琉球側に条約の締結を求めた。琉球側はこれを拒否したが、日米和親条約(54年3月)の締結を知りペリーの要求を受け入れることにした。琉米修好条約を契機に琉球はフランスとの間に琉仏修好条約(1855)を、オランダとの間に琉蘭(りゅうらん)修好条約(1859)を締結している。内容はいずれも不平等条約であったが、琉球処分の過程で明治政府が琉球王国にかわってこれらの条約を引き受ける形をとり、条約改正で最終的に処理された。
[高良倉吉]