瓜連城跡(読み)うりづらじようあと

日本歴史地名大系 「瓜連城跡」の解説

瓜連城跡
うりづらじようあと

[現在地名]瓜連町瓜連

瓜連のほぼ中央字入門前いりもんまえにある。久慈川沿い低地の丘陵上に構え、北側は断崖で深い谷となる要害の地であった。今は常福じようふく寺や民家が立並ぶ。現在、本丸・堀・土塁などの遺構があり、県指定史跡。

延元元年(一三三六)正月足利尊氏は北畠顕家・新田義貞軍のため大敗して兵庫に走り、佐竹義篤・義春兄弟を常陸に返して東国を経略させた。この月楠木正家は兵を率いて常陸に入り、那珂一族はこれに応じた。正家は瓜連城に拠り佐竹貞義・義篤らと対立、常陸における南北朝の決戦場となった。二月六日正家は佐竹勢と交戦、貞義の子五郎義直・六郎義冬らは戦死をとげ、二五日貞義は正家の陣を攻撃、那珂一族は正家に加勢した(吉田薬王院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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