日本歴史地名大系 「瓦町村」の解説 瓦町村かわらまちむら 愛知県:豊橋市瓦町村[現在地名]豊橋市瓦町(かわらまち)通仁連木(にれんぎ)村の南、田尻(たじり)村と平川(ひらかわ)新田の西で東海道に沿い、吉田(よしだ)の町並を元新(もとしん)町から江戸よりに延長して開発された村。瓦職人が多いところからの村名で、元禄二年(一六八九)三月吉日「三州吉田河原町、細井新兵衛作」と銘のある瓦(高岡幸氏蔵)が残る。川原・河原とも記した。年次未詳の河原町開発覚(佐藤憲一氏蔵)によると、仁連木村の弥八郎なる者が寛文二年(一六六二)に開発を願い出、同四年に許可されて、十王坂から東坂口までの両側を開発し、百姓二〇人ほどの居屋敷を造った。 瓦町村かわらまちむら 佐賀県:佐賀市巨勢郷瓦町村[現在地名]佐賀市兵庫町(ひようごまち)大字瓦町縦横に走る堀に囲まれた肥沃な水田の中に位置し、牟田寄(むたより)村の東。村内の老松(おいまつ)天満宮は巨勢(こせ)神社(現巨勢町)の前身だといわれる。天正一二年(一五八四)田尻鑑種が巨勢郷に与えられた知行地のなかに瓦町の田地が含まれており「徳田十町二段八畝十三歩、徳屋敷一町半歩、作田九町七段二畝九歩、作畠地一段七畝廿七歩 合廿一町一段八畝十九歩半」とある(田尻家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by