改訂新版 世界大百科事典 「甄萱」の意味・わかりやすい解説
甄萱 (しんけん)
Chin(Kyǒn)Hwǒn
生没年:?-936
朝鮮,新羅末期の武将。尚州加恩県の人。本姓は李。〈けんけん〉ともよむ。農民から身を起こして新羅の将軍となった阿慈介の子。甄萱も西南海方面の防備に功をたて新羅の裨将となった。ときに新羅末期,政治がみだれ各地に反乱が起こると彼も反旗をひるがえし,徒党を率いて西南方面の諸城を攻撃し,892年には武珍州(光州)で自立した。つづいて全羅南北道・忠清南道の大部分を支配下に収めた甄萱は,900年,ついに完山州(全州)に都を定め,百済の復興と新羅の打倒を標榜して正式に後百済王と称し,国家の体制を整えた。これより東は新羅と対抗し,北は新興の後高句麗,続いて高麗と対抗する。いわゆる後三国時代であるが,新羅が高麗に下った935年,すでに戦況が不利となっていた後百済では,甄萱がその長子神剣に幽閉されたため,逃げて高麗の王建に下るという事件が起こった。翌936年,甄萱を先頭にたてた高麗の軍隊は後百済を滅ぼし,甄萱も同年病死した。
執筆者:浜中 昇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報