出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
朝鮮、後三国の一つ。新羅(しらぎ)の支配体制は9世紀末には大きく動揺し、地方では豪族が台頭した。西南では甄萱(けんけん/しんけん)が892年に武州(光州広域市)に挙兵し、900年には完山州(全羅北道全州)を都と定め、百済の復興を唱えた。これが後百済である。甄萱は国家組織を整え呉越(ごえつ)、後唐(こうとう)や、日本(922、929)にも通交した。このころ、北部では弓裔(きゅうえい)が鉄円(江原道鉄原)を拠点に自立し(後高句麗(ごこうくり))、918年には王建がこれにかわって高麗(こうらい)を建て、いわゆる後三国時代の覇を争った。後百済は927年に慶州を攻め、新羅の景哀王(けいあいおう)を自殺せしめて強大化したが、935年には内紛を起こし、甄萱が高麗に亡命するや、高麗の攻撃を受けて翌年滅亡した。
[浜田耕策]
900~936
新羅末期に甄萱(しんけん)が建てた国。西南海辺の鎮将甄萱は動乱に乗じて,892年武珍州(光州)に自立,900年完山州(全州)を都として後百済王を称した。全羅南・北道を支配し,呉越(ごえつ),日本と通交した。927年慶州に侵攻し,大いに勢威を張ったが,高麗(こうらい)王の王建に討たれ,2代で滅んだ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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[前期]
高麗王朝をおこした王建は松岳(開城)地方の豪族で,初めは泰封の弓裔(きゆうえい)の部将として活躍したが,やがて弓裔を倒して王となり,高句麗の後継者であることを自任して国を高麗と号し(918),翌年,松岳を都にした。当時,新羅は慶州周辺で余命を保っただけであり,南西部は後百済が支配し,また諸方に豪族が割拠していた。やがて新羅は自立できないことを知り高麗に降服してきた(935)。…
…ときに新羅末期,政治がみだれ各地に反乱が起こると彼も反旗をひるがえし,徒党を率いて西南方面の諸城を攻撃し,892年には武珍州(光州)で自立した。つづいて全羅南北道・忠清南道の大部分を支配下に収めた甄萱は,900年,ついに完山州(全州)に都を定め,百済の復興と新羅の打倒を標榜して正式に後百済王と称し,国家の体制を整えた。これより東は新羅と対抗し,北は新興の後高句麗,続いて高麗と対抗する。…
※「後百済」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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