後百済(読み)ゴクダラ(英語表記)Hu-Paekche

デジタル大辞泉 「後百済」の意味・読み・例文・類語

ご‐くだら【後百済】

新羅しらぎ末期、892年に甄萱けんけんが建てた国。都は完山(全州)。936年、高麗こうらい王建に滅ぼされた。ごひゃくさい。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後百済」の意味・わかりやすい解説

後百済
こうひゃくさい
Hu-Paekche

朝鮮新羅末期の国 (900~936) 。古代三国を統一した新羅も末期になると各地に反乱が起り,豪族が割拠した。尚州 (現慶尚北道) の農民出身の甄萱 (けんけん) は滅亡した百済再興名目として孝恭王4 (900) 年,完山州 (現全羅北道全州) を首都に定め「後百済」と号し,中国や日本とも通交した。この前後,北方の鉄円 (江原道) に拠る弓裔の泰封国と残存の新羅と三国が対立したので「後三国」時代ともいう。一方,松岳 (現開城付近) 出身の豪族王建は最初は弓裔の部下であったが,人心が弓裔を去ったのをみて兵をあげ,泰封国を倒して 918年高麗を建国した。以後は高麗と後百済との対立になるが,927年後百済は新羅の慶州に侵入し,景哀王を自殺させ敬順王を擁立した。ところが 935年後百済では王位継承をめぐって内紛が起り,甄萱は長子神剣に幽閉された。甄萱は王建の保護を求めて投降し,天授 18 (935) 年すでに新羅を破った王建は同 19年後百済と一利川 (現慶尚北道全山) に戦い,これを滅ぼして高麗の全朝鮮統一が完成した。

後百済
ごひゃくさい

後百済」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後百済」の意味・わかりやすい解説

後百済
ごひゃくさい

朝鮮、後三国の一つ。新羅(しらぎ)の支配体制は9世紀末には大きく動揺し、地方では豪族が台頭した。西南では甄萱(けんけん/しんけん)が892年に武州(光州広域市)に挙兵し、900年には完山州(全羅北道全州)を都と定め、百済の復興を唱えた。これが後百済である。甄萱は国家組織を整え呉越(ごえつ)、後唐(こうとう)や、日本(922、929)にも通交した。このころ、北部では弓裔(きゅうえい)が鉄円(江原道鉄原)を拠点に自立し(後高句麗(ごこうくり))、918年には王建がこれにかわって高麗(こうらい)を建て、いわゆる後三国時代の覇を争った。後百済は927年に慶州を攻め、新羅の景哀王(けいあいおう)を自殺せしめて強大化したが、935年には内紛を起こし、甄萱が高麗に亡命するや、高麗の攻撃を受けて翌年滅亡した。

[浜田耕策]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「後百済」の解説

後百済(こうひゃくさい)
Hu-Paekche

900~936

新羅末期に甄萱(しんけん)が建てた国。西南海辺の鎮将甄萱は動乱に乗じて,892年武珍州(光州)に自立,900年完山州(全州)を都として後百済王を称した。全羅南・北道を支配し,呉越(ごえつ),日本と通交した。927年慶州に侵攻し,大いに勢威を張ったが,高麗(こうらい)王の王建に討たれ,2代で滅んだ。


後百済(ごひゃくさい)

後百済(こうひゃくさい)

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「後百済」の解説

後百済
こうひゃくさい

900〜936
新羅 (しんら) の将軍甄萱 (しんけん) が新羅に反し建てた国
10世紀の新羅の衰退に乗じておこった地方政権で,南西部に勢力をもち,北中部を支配する弓裔 (きゆうえい) の摩震 (ましん) と対立した。新羅は南東部の故地を領するにすぎず,この状態がかつての百済 (ひやくさい) ・新羅・高句麗の対立に似ているため,後三国時代と呼ばれる。甄萱の子神剣のとき,摩震に代わった高麗の王建との決戦に敗れて滅亡。

後百済
ごひゃくさい

こうひゃくさい

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世界大百科事典(旧版)内の後百済の言及

【高麗】より


[前期]
 高麗王朝をおこした王建は松岳(開城)地方の豪族で,初めは泰封の弓裔(きゆうえい)の部将として活躍したが,やがて弓裔を倒して王となり,高句麗の後継者であることを自任して国を高麗と号し(918),翌年,松岳を都にした。当時,新羅は慶州周辺で余命を保っただけであり,南西部は後百済が支配し,また諸方に豪族が割拠していた。やがて新羅は自立できないことを知り高麗に降服してきた(935)。…

【甄萱】より

…ときに新羅末期,政治がみだれ各地に反乱が起こると彼も反旗をひるがえし,徒党を率いて西南方面の諸城を攻撃し,892年には武珍州(光州)で自立した。つづいて全羅南北道・忠清南道の大部分を支配下に収めた甄萱は,900年,ついに完山州(全州)に都を定め,百済の復興と新羅の打倒を標榜して正式に後百済王と称し,国家の体制を整えた。これより東は新羅と対抗し,北は新興の後高句麗,続いて高麗と対抗する。…

※「後百済」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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