朝鮮,新羅末の群雄中の一人,後高句麗の創始者。新羅王の庶子と伝えられる。地方で僧となり善宗と号していたが,各地で軍人や民衆の反乱がおこると,891年にまず竹州(竹山)の反乱軍の頭目箕萱に身を投じ,翌年には北原(原州)の頭目梁吉に投じた。梁吉の部下となった弓裔は江原道・京畿道・黄海道一帯を攻略し,やがて梁吉を打倒して松岳(開城)を根拠地として自立し,901年,高句麗の復興と新羅の打倒を唱えて後高句麗を建国した。904年には正式に国号を立てて摩震とし,年号を武泰と定めた。このころ,国事を総理する広評省をはじめ諸官府を整備し,正匡以下の9等の官号を設定して,国家としての体裁をととのえたらしい。905年には鉄円(鉄原)に遷都し,911年には国号を泰封と改めた。のち三国鼎立後の弓裔は,軍事面ではその部将であり協力者でもあった王建にもっぱら依存しており,専制君主として暴君に転落すると,結局,王建すなわち高麗の太祖に取って代わられてしまう。
執筆者:浜中 昇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
朝鮮、新羅(しらぎ)末、地方豪族中の有力者。新羅王族の出身と称し、僧侶(そうりょ)生活ののち、891年箕萱(きけん)軍に投じ、翌年梁吉(りょうきつ)の将となって朝鮮半島中部一帯を勢力下に入れ、901年松岳(開城)で王を自称した。904年国号を摩震(ましん)とし、翌年鉄円(鉄原)に遷都、911年国号を泰封(たいふう)と変え、新羅、後百済(ごひゃくさい)と対立した。晩年は人心を失って部将の王建(高麗(こうらい)の太祖)に追放され、江原道平康で現地住民に殺害された。
[吉田光男]
…祖先についてははっきりしないが,松岳(開城)地方に一定の勢力基盤をもち,海上貿易にも関係していた家系らしい。新羅末期,反乱軍の一首領弓裔(きゆうえい)に帰順してその部下となった。弓裔の部将として早くから軍事的才能を発揮したが,特に水軍活動において目ざましく,後三国期に弓裔の後高句麗国が西南海の海上権を掌握できたのは,もっぱら彼の功績による。…
※「弓裔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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