甘樫丘(読み)あまかしのおか

日本歴史地名大系 「甘樫丘」の解説

甘樫丘
あまかしのおか

[現在地名]明日香村大字豊浦

「古事記」允恭天皇段に「是に天皇、天の下の氏氏名名の人等の氏姓の忤ひ過てるを愁ひたまひて、味白檮あまかしの言八十禍津日の前に玖訶くかべを居ゑて、天の下の八十友緒の氏姓を定め給ひき」とみえ、「日本書紀」允恭天皇四年の条には「則ち味橿丘うまかしのをか辞禍戸ことのまがへのさき探湯瓮を坐ゑ」とある。「弘仁私記」序には、使用した湯釜が高市郡に残ると記す(釈日本紀)。「日本書紀」皇極天皇三年一一月の条に蘇我蝦夷・入鹿が家を並び建て、城柵・兵庫を作って防備したという甘檮あまかし岡も同地である。同書斉明天皇五年三月の条に「甘橿丘の東の川上かはら須弥山を造り」とみえ、東の川を飛鳥川とすると、甘橿丘は現豊浦とようらの東北から西南に連なる丘陵総称であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「甘樫丘」の意味・わかりやすい解説

甘樫丘 (あまかしのおか)

奈良県明日香村の飛鳥川沿いの低丘陵。甘橿岡とも記す。同村豊浦の向原寺の西隣に,甘樫坐神社が所在する。神社の背後から南東方向に,飛鳥川に沿って低丘陵が続く。丘陵の最高所を,現在,〈甘樫丘〉と通称しているが,甘樫坐神社の存在を考えると,低丘陵全体を甘橿岡・逝回岳(ゆきみのおか)と称したのであろう。允恭朝に,姓(かばね)の混乱を正すため,盟神探湯(くかたち)を行ったと伝える。644年(皇極3)に,大臣蘇我蝦夷(えみし)とその子の入鹿(いるか)が,家を〈甘橿岡〉にならび起こしたこと,659年(斉明5)3月に,〈甘橿丘〉の東の河原で,須弥山を造って蝦夷を饗したことが著聞する。
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