生瀬宿(読み)なまぜしゆく

日本歴史地名大系 「生瀬宿」の解説

生瀬宿
なまぜしゆく

[現在地名]西宮市生瀬町一―二丁目

有馬ありま街道に設置された宿駅武庫むこ川南岸の段丘上に位置し、京・大坂方面から有馬温泉(現神戸市北区)への入口にあたる。東は武庫川を渡って小浜こはま宿(現宝塚市)から郡山こおりやま(現大阪府茨木市)伏見ふしみ(現京都市伏見区)伊丹・大坂へ、西は船坂ふなさか村を通って有馬・三木・姫路方面に至る。すでに鎌倉時代初期に浄土宗西山派の証空によって武庫川に橋が架けられ、南北朝期には三六戸の棟別銭が課されている(応安元年四月八日「金堂供養棟別銭注文」多田神社文書)有馬湯治に出かけた京都祇園社前執行顕詮は応安四年(一三七一)九月二一日に生瀬で昼休みをとるなど(祇園執行日記)、中世以来の交通の要衝であった。摂津の国奉行片桐且元が慶長一一年(一六〇六)一二月一二日付で郡山小浜馬方中などに宛てた判物(奥田家文書)は、当時旅行者の迷惑になっていた街道筋の荷継ぎを制限するものであったが、「兵庫・西の宮・尼ケ崎・なま瀬・有馬への上下如前可致之事」とあるように、生瀬は西宮などとともに従前どおり許可されており、交通・運輸の拠点として重視されていたことがわかる。延宝年間(一六七三―八一)の生瀬村馬借絵図(浄橋寺蔵)に伝馬役四一軒・人足役九〇軒・駕籠持役一三軒(兼役あり)がみえ、家数一〇三軒のうち九九軒までがなんらかの宿駅業務に携わっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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