生瀬村(読み)なまぜむら

日本歴史地名大系 「生瀬村」の解説

生瀬村
なまぜむら

[現在地名]西宮市生瀬町一―二丁目・生瀬東町なまぜひがしまち塩瀬町生瀬しおせちようなまぜ宝生ほうしようおか一―二丁目・生瀬高台なまぜたかだい花の峯はなのみね青葉台あおばだい一―二丁目・生瀬武庫川町なまぜむこがわちよう

武庫川が大きく蛇行しながら平野部に出る谷口に立地する有馬ありま郡の村。京から有馬温泉(現神戸市北区)へ向かう有馬街道はここで武庫川を渡り、太多田おたた川沿いに西走して船坂ふなさか村から有馬温泉に出る。古くからの交通の要衝で早くから宿駅として栄えた。

善恵上人伝絵(浄橋寺蔵)によると、浄土宗西山派の開祖証空が有馬に赴く途中、生瀬で武庫川に架橋し、仁治二年(一二四一)浄橋じようきよう寺を建立したという。寛元元年(一二四三)五月二日の浄橋寺寺領四至定書案(浄橋寺文書)に「有馬郡生瀬浄橋寺領田園并山林曠野等」とみえる。街道に面した集落は宿場的な性格を有し、多くの人々が当地を訪れた。「感身学正記」によると摂津四天王寺から岩峯寺(現神戸市北区石峯寺)に向かっていた奈良西大寺の叡尊は、弘安四年(一二八一)二月二七日「摂津国生瀬宿」に到着している。応安元年(一三六八)四月八日の金堂供養棟別銭注文(多田神社文書)によれば、多田ただ(現川西市)金堂修理供養のための棟別銭が生瀬三六家に賦課されている。同四年九月二一日には有馬温泉に下向しようとした京都祇園社前執行顕詮が大田おおだ宿(現大阪府茨木市)から六里にある「ナマ瀬」で昼休みをとっており(祇園執行日記)、また永徳元年(一三八一)二月二九日には、やはり有馬に向かった義堂周信が、生瀬渡で斯波義種・古剣妙快らと出会っている(空華日用工夫略集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android