生玉万句(読み)いくたままんく

改訂新版 世界大百科事典 「生玉万句」の意味・わかりやすい解説

生玉万句 (いくたままんく)

俳諧。井原鶴永(西鶴)編。1673年(寛文13)刊。同年春,12日間にわたり,大坂生玉社において,鶴永が主催し興行した万句と追加百韻の各三つ物,および諸家による祝賀興行の百韻53巻の発句(ほつく)を収める。興行の意図は,鶴永らの一派阿蘭陀(ナランダ)流とさげすみ,これを疎外して行われた既成勢力による万句に対抗したものという(序文)が,それを口実に中央俳壇進出の野心を満たすべく,鶴永のうった大きな賭けであろう。三つ物に句を寄せた俳壇の重鎮たちは,当日出席しなかったもようである。作風は,〈天川に栬(もみじ)流るゝ珊瑚珠哉 武仙/革巾着やいつの小男鹿(さおじか) 鶴永〉のごとく,きわめて奇抜である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の生玉万句の言及

【談林俳諧】より


[台頭期]
 貞徳の没後大坂・堺など地方俳壇の分派活動が目だち始め,俳書の刊行があいつぐなか,1671年には大坂の以仙(いせん)が《落花集》を編み,宗因の独吟千句を収めてこれに談林の教書的役割を果たさせ,翌72年には伊賀上野の一地方俳人宗房(そうぼう)(芭蕉)が,流行語や小唄の歌詞をふんだんに盛り込んだ句合(くあわせ)《貝おほひ》を制作。さらに翌73年には,世間から阿蘭陀流とののしられていた西鶴が,貞門の万句興行に対抗して,大坂生玉社頭に門人・知友を集め《生玉(いくたま)万句》を興行した。
[最盛期]
 宗因の《蚊柱(かばしら)百句》(1674)をめぐり,論難書《しぶうちわ》,翌1675年惟中(いちゆう)の《しぶ団(うちわ)返答》が出され,新旧の対立がにわかに激化した。…

※「生玉万句」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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