日本大百科全書(ニッポニカ) 「生白庵行風」の意味・わかりやすい解説
生白庵行風
せいはくあんこうふう
生没年不詳。江戸前期の狂歌作者、俳人。延宝(えんぽう)(1673~81)末年没か。大坂高津に住した浄土真宗の僧で、字(あざな)は懐忠。生白堂、高津汚道士(たかつおどうし)ともいう。俳諧(はいかい)を重頼(しげより)に学び『佐夜中山(さよのなかやま)集』などに入集(にっしゅう)、『大坂誹歌仙(はいかせん)』(1673)の一人に数えられる。しかし俳諧よりは狂歌に主力を注ぎ、狂歌史上、狂歌を主として活動した最初の人で、熊本の永崎一見や永田貞柳(ていりゅう)の叔父の貞富(ていふ)など遠近多数の人から狂歌の加点を請われた。編著に『古今夷曲(こきんいきょく)集』『後撰(ごせん)夷曲集』『銀葉夷歌集』があり、また校閲した地誌『有馬(ありま)私雨』や自編の『迎湯(げいとう)有馬名所鑑(かがみ)』にも発句とともに狂歌を多く収めている。
欲垢(よくあか)も絶えぬうき世の嵯峨(さが)の釈迦(しゃか)御身拭(おみぬぐひ)にもとれる賽銭(さいせん)
[森川 昭]