祈願成就の報恩のしるしとして神仏へ捧げた銭(ぜに)。散銭(さんせん)ともいう。もっとも,神仏への報賽(かえりもうし)として奉るものはもともと銭とは限らない。金や銀,とくに洗米が多かった。しかも,〈おひねり〉といって紙に洗米を包んで奉るのが古式だったが,時代が下るにつれて米より銭貨がふえ,また散米(さんまい),散銭と呼ばれるようにはだかのまま神仏の前に投げられるようになった。神仏へ参詣するとき賽銭を奉る風習は,庶民社会に貨幣経済が浸透した時代に起こった。円仁の《入唐求法巡礼行記》によると,中国では9世紀に仏前への散銭の風習が一般化していたが,日本では貨幣経済の進展が遅かったので,神仏へ賽銭を捧げる風習は室町時代から一般化した。そしてこの室町時代は,伊勢参宮,諸宗の本山詣,諸国の霊場巡礼の風習が広く庶民社会に定着をみた時代でもあった。また賽銭本来の意義は神仏への報謝だが,これも人により時代により変化した。近代に近づくほど,政治や経済,文化や学問の分野で庶民が台頭してくると,神仏は人々にとって古代のような絶対的な存在ではなくなった。神仏も人間と同じように喜怒哀楽や欲望があり,その加護や利益をえるためには相応の供物が必要だと,人々は考えだした。人と神仏との取引がはじまりだし,それだけ神仏は人と近くなった。神仏に戦勝を祈願した中世の武士が,祈願成就すれば土地や社殿を寄進し,さもなくば社殿を焼却するなどと,利害得失をもって神仏に迫る祈願文を捧げた例もある。こうして賽銭の目的も多彩となり,敬虔な報謝の性格から,神仏の加護や利益を取引しようとする一種の投資的な祈念をこめた散銭もあった。中世後期から盛行した名神大寺への庶民群参の風潮とあいまって,ほとんどの社寺に賽銭箱が設けられたが,ただ日蓮宗不受不施派(ふじゆふせは)の寺院だけにはこの箱が置かれなかった。賽銭には謗法(ほうぼう)(他宗の人)の銭がまじるからである。謗法の布施供養を峻拒すること(不受)が,謗法折伏(しやくぶく)の第一歩であり,これが日蓮以来の宗制であると,この派の寺院や僧侶が考えたからである。したがって,不受不施派の寺院や墓地では,賽銭箱不設置はもとより,境内の要所や墓前に立札を建て,一般参詣者の賽銭を厳禁した例もある。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
神仏への祈願が成就(じょうじゅ)したことの報賽(お礼)のしるしとして奉る銭貨をいう。いまは、社寺へ参拝して祈願崇敬の心の表れとして奉る金銭をもいう。社寺の恒例の神事・仏事に捧(ささ)げる供物(くもつ)とは異なり、個人的な随時の参拝を目的とした際の神供である。古くは銭貨ではなく紙に洗米(せんまい)を包んで献ずるオヒネリとか、米を散(ま)く散米(さんまい)の形から、庶民生活に貨幣経済が広まり、また室町時代以降に庶民の他の土地への社寺参詣(さんけい)の盛行に伴って、銭に移行した。本来は、供物としての幣帛(へいはく)の意味と、個人の罪穢(ざいえ)を祓(はら)い清める科料の意義も込められていた。また近年では、外国人による賽銭も増加し、明治神宮では約800種のコインが捧げられている。
[牟禮 仁]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新