田中塊堂(読み)タナカ カイドウ

20世紀日本人名事典 「田中塊堂」の解説

田中 塊堂
タナカ カイドウ

昭和期の書家 元・帝塚山学院大学教授;元・日本書芸院理事長。



生年
明治29(1896)年2月10日

没年
昭和51(1976)年2月1日

出生地
岡山県小田郡矢掛町

本名
田中 英市(タナカ エイイチ)

学歴〔年〕
大阪貿易語学校英専科〔大正11年〕卒

学位〔年〕
文学博士(龍谷大学)〔昭和36年〕

主な受賞名〔年〕
大阪芸術祭賞〔昭和35年〕,日本芸術院賞〔昭和44年〕,勲三等瑞宝章〔昭和50年〕

経歴
大正13年川谷尚両亨に漢字を学び、かなは独学古筆を研究した。15年千草会を創立、大阪古筆研究会を主宰し、関西かな書道界の指導的立場にあって多くの門人を育成した。泰東書道院、日本書道院、平安書道会、毎日書道展各審査員、日展評議員、日本書芸院理事長を務めた。その間、帝塚山学院高等女学校教諭を経て、昭和41年から帝塚山学院大学教授。また36年古写経の研究により龍谷大学から文学博士の学位を受け、35年大阪芸術祭賞、44年日本芸術院賞、50年勲三等瑞宝章を受章した。著書に「日本写経鑑」「日本書道史」「日本古写経現存目録」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田中塊堂」の意味・わかりやすい解説

田中塊堂
たなかかいどう
(1896―1976)

書家。岡山県矢掛(やかげ)町出身。本名は英市(えいいち)。28歳で川谷尚亭(かわたにしょうてい)に師事し本格的に書を始めたが、仮名は独学で極め、大字仮名の作品を多数発表、それまで細字に限られていた仮名の表現領域を広めることにより、現代仮名書壇の隆盛の基礎を築いた。帝塚山(てづかやま)学院教授を務めるかたわら、自ら千草会を主宰し、相沢春洋(しゅんよう)、田中親美(しんび)とともに古筆(こひつ)の研究にも力を注ぎ、『かな研究』を発行した。一方、わが国の古写経の体系的な調査研究の草分けとしても評価が高い。東大寺四天王寺をはじめ全国の寺社を踏査し、古写経の研究収集に努めた成果として『古写経綜鑒(そうかん)』『日本写経現存目録』を著した。1968年(昭和43)芸術院賞受賞。

[神崎充晴]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中塊堂」の解説

田中塊堂 たなか-かいどう

1896-1976 昭和時代の書家。
明治29年2月10日生まれ。漢字を川谷尚亭(かわたに-しょうてい)にまなび,かなは独学で古筆を習得した。古写経の調査・研究にあたり,「古写経綜鑒(そうかん)」「日本古写経現存目録」を刊行。帝塚山(てづかやま)学院大教授。千草会を主宰。昭和44年芸術院賞。昭和51年2月1日死去。79歳。岡山県出身。大阪貿易語学校卒。本名は英市。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田中塊堂」の解説

田中 塊堂 (たなか かいどう)

生年月日:1896年2月10日
昭和時代の書家。帝塚山学院大学教授;日本書芸院理事長
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android