田中 彰治
タナカ ショウジ
- 肩書
- 衆院議員(自民党)
- 生年月日
- 明治36年6月18日
- 出生地
- 新潟県新井市
- 学歴
- 岩倉鉄道学校卒
- 経歴
- 鉄道勤務、樺太で農業経営、九州で炭鉱経営など転々。その間、恐かつ、詐欺などの犯歴を重ねたが、戦後の昭和24年1月、地元新潟4区から衆院選に立ち当選。大がかりな選挙違反をして一時姿を消し、裁判では有罪になったが恩赦となった。7回連続当選、うち6回は最高点。この間第1次鳩山内閣の建設政務次官、衆院決算委員長(3回)、自由党副幹事長、民主党総務、自民党新潟県連会長、自民党総務などを歴任。自民衆院決算委員長時代、航空自衛隊の戦闘機輸入をめぐってロッキードかグラマンかの論争で吉田茂内閣をゆさぶった。問題に火をつけては消して回るところから“マッチポンプ”といわれた。虎ノ門国有地払い下げ事件では小佐野賢治国際興業社主を脅し41年東京地検に逮捕され、拘置中に議員を辞職。49年東京地裁の有罪判決を受け控訴中に死亡。
- 没年月日
- 昭和50年11月28日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
田中 彰治
タナカ ショウジ
昭和期の政治家,実業家 衆院議員(自民党)。
- 生年
- 明治36(1903)年6月18日
- 没年
- 昭和50(1975)年11月28日
- 出生地
- 新潟県新井市
- 学歴〔年〕
- 岩倉鉄道学校卒
- 経歴
- 鉄道勤務、樺太で農業経営、九州で炭鉱経営など転々。その間、恐かつ、詐欺などの犯歴を重ねたが、戦後の昭和24年1月、地元新潟4区から衆院選に立ち当選。大がかりな選挙違反をして一時姿を消し、裁判では有罪になったが恩赦となった。7回連続当選、うち6回は最高点。この間第1次鳩山内閣の建設政務次官、衆院決算委員長(3回)、自由党副幹事長、民主党総務、自民党新潟県連会長、自民党総務などを歴任。自民衆院決算委員長時代、航空自衛隊の戦闘機輸入をめぐってロッキードかグラマンかの論争で吉田茂内閣をゆさぶった。問題に火をつけては消して回るところから“マッチポンプ”といわれた。虎ノ門国有地払い下げ事件では小佐野賢治国際興業社主を脅し41年東京地検に逮捕され、拘置中に議員を辞職。49年東京地裁の有罪判決を受け控訴中に死亡。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
田中彰治(2) たなか-しょうじ
1903-1975 昭和時代後期の政治家。
明治36年6月18日生まれ。昭和24年衆議院議員(当選7回,自民党)。決算委員長として造船疑獄事件,グラマン機種問題などで政府を追及,「爆弾男」といわれる。41年虎ノ門国有地払い下げ問題をめぐる恐喝・詐欺(さぎ)事件で逮捕され,議員を辞職。49年懲役4年の実刑判決をうけ,控訴中の昭和50年11月28日病死。72歳。新潟県出身。岩倉鉄道学校卒。
田中彰治(1) たなか-しょうじ
1881-1929 明治-昭和時代前期の検事。
明治14年5月3日生まれ。岐阜・神戸・大阪などの地方裁判所検事を歴任。和歌山地方裁判所検事正をへて大阪控訴院検事となる。大正15年大阪の松島遊廓疑獄事件を担当した。昭和4年1月18日死去。49歳。京都出身。京都帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
田中 彰治 (たなか しょうじ)
生年月日:1903年6月18日
昭和時代の政治家;実業家。衆議院議員
1975年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報