田原城跡(読み)たはらじようあと

日本歴史地名大系 「田原城跡」の解説

田原城跡
たはらじようあと

[現在地名]田原町田原 巴江

周辺は田原湾に臨み、海水が巴形に城を囲むところから別名巴江はこう城ともいう。

文明一二年(一四八〇)頃、大津おおつ(現豊橋市)から移った戸田宗光が渥美半島統括の本拠として構築した城。東観音とうかんのん(現豊橋市)古証文に「宗光公田原築城の御事、拙寺記録にも戸田先祖田原築城の占と申占文書添有之候。七宝浮図塔 高峯頂上安 衆人皆仰望 莫等閑看」とある。

田原城跡
たわらじようあと

[現在地名]四條畷市上田原

上田原かみたわらの字はちつぼ生駒山地より突出した丘陵上(城山)にあり、所在地を「土居の内」と称する。標高約一八〇メートル、山麓水田との比高約三〇メートル。城山の麓を天野あまの川が流れて天然の要害をなす。室町後期―戦国時代の城跡と推測されるが、築造時代・城主などに関する同時代史料はない。天保一五年(一八四四)の上田原村差出明細帳(「四條畷市史」所収)に「永禄之頃、当地守護田原対馬守様御城跡と申伝候」というが田原氏についても未詳

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報