田原城下(読み)たはらじようか

日本歴史地名大系 「田原城下」の解説

田原城下
たはらじようか

[現在地名]田原町田原

田原城下町は戸田宗光が文明一二年(一四八〇)頃築城して以来、今川氏・本多氏・池田氏・戸田氏・三宅氏らが約四〇〇年間支配した。それ以前、この辺りは西方約二キロの黒川くろがわ宿であったと考えられる。延徳元年(一四八九)戸田宗光が、加治かじ清友きよとも名田を買取った時の三通の証文があり(田原近郷聞書)黒川宿作職権の次郎左衛門信秀や加治郷荘官の久世信康の署名が載っている。以後黒川宿の名をみないのは、この宿場人家は築城後の田原城下へすべて移住したものと考えられる。

元禄九年(一六九六)の田原領高附並人家社寺道程帳(田原町蔵)によれば「戸数三百五十八軒、人口一千七百二十七人、寺は六ケ寺、宮は五社、町域東西南北八町五十二間」とある。この区域に入る地区は、現在ののぼり・よこ町・ほん町・南番場みなみばんば清谷せいやしん町・稗田ひえだかや町・なか町・亀井戸かめいどが町家であり、大手おおて中小路なかこうじ五軒ごけん丁・椿つばき山口やまぐち池の原いけのはら十七谷じゆうしちやと北番場の一部が家中(侍屋敷)であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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