日本歴史地名大系 「田子村」の解説
田子村
たつこむら
田子川と
正安三年(一三〇一)のきぬ女家族書上案(新渡戸・岩大文書)に「つる女子八才
雑書の正保三年(一六四六)八月二二日条に「田子村不動院子、間二郎女房、同娘、此二人当月十九日於松山境染田作右衛門、中館五兵衛請取候由」とある。翌四年の南部領内総絵図に田子村、九〇三石余とあり、同年の郷村帳によれば九〇三・〇九三石のうち五六八・一五六石が田であった。雑書の承応三年(一六五四)四月一日条によれば当村と
田子村
たごむら
駿河湾に面し、東には
田子村
たごむら
田子村
たごむら
- 長野県:長野市
- 田子村
北国脇往還が南北に通じている。東は
田子の地名の初見は、天正七年(一五七九)の諏訪社下社の下諏訪春宮造宮帳(諏訪大社上社文書)に、「外籬廿間 若槻庄之内、取手竹居祝・辰野伝兵衛・諏方伊賀守(中略)正物六百文 代官
田子村
たごむら
田子村
あしだこむら
- 秋田県:大館市
- 田子村
大館盆地北東端、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報