田辺至(読み)タナベ イタル

20世紀日本人名事典 「田辺至」の解説

田辺 至
タナベ イタル

大正・昭和期の洋画家



生年
明治19(1886)年12月21日

没年
昭和43(1968)年1月14日

出生地
東京・神田

学歴〔年〕
東京美術学校西洋画科〔明治43年〕卒

主な受賞名〔年〕
文展特選(第12回)〔大正7年〕「七面鳥」「ギター」,帝国美術院賞(第8回)〔昭和2年〕「裸体

経歴
東京美術学校在学中に黒田清輝師事、第1回文展に入選。研究科を経て助手となるが、一時文展を離れて石井柏亭らとともに大正3年二科会を発足させた。4年文展に戻り、7年「ギター」「七面鳥」で特選となる。8年東京美術学校助教授。11〜13年文部省在外研究員として渡欧エッチング技法を持ち帰り、銅版画の日本移入に先駆をなした。昭和2年第8回帝展出品の「裸体」で帝国美術院賞受賞。3〜19年東京美術学校教授。9年白潮会を結成、11年より海軍嘱託として戦争記録画を制作した。戦後は美術団体に属さず、鎌倉美術クラブ代表や神奈川県立美術館運営委員などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田辺至」の解説

田辺至 たなべ-いたる

1886-1968 大正-昭和時代の洋画家。
明治19年12月21日生まれ。田辺元(はじめ)の弟。黒田清輝(せいき)にまなぶ。昭和3年「裸体」で帝国美術院賞。3-19年母校東京美術学校(現東京芸大)の教授。9年白潮会を結成したが,戦後は無所属。銅版画も制作し,日本エッチング作家協会初代会長。昭和43年1月14日死去。81歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の田辺至の言及

【明治・大正時代美術】より

…1907年,太平洋画会系の洋画家石井柏亭,森田恒友,山本鼎らが,美術文芸雑誌《方寸》を発刊し,〈自画自刻自刷〉の創作版画を発表するようになった。これによって時代感覚にそった新しい版画芸術が生まれることとなり,このほかに画家では田辺至(1886‐1968),彫刻家の戸張孤雁,版画家の織田一磨,恩地孝四郎,永瀬義郎,平塚運一,前川千帆(せんぱん)(1889‐1960)ら,創作版画にたずさわる作家の大同団結が,18年の日本創作版画協会結成となった。これは31年日本版画協会へと発展し,今日の版画隆盛の起源となった。…

※「田辺至」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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