哲学者。東京に生まれる。第一高等学校理科卒業。東京帝国大学文科大学哲学科卒業。初め数学科に席を置いたが、のちに哲学科に転ず。数学ならびに物理学に終生関心強く、また造詣(ぞうけい)深く、1913年(大正2)東北帝国大学理学部講師となる。最初の著書は『最近の自然科学』(1915・岩波書店)、3年後『科学概論』を出版(前出同)。1917年「数理哲学研究」の論文にて文学博士となる。数学、自然科学に造詣が深いといっても、その思索の立場と学識は哲学に立脚するもので、日本の学界では珍しく、かつ独創の価値を存するものであった。そしてこの哲学は実は西田幾多郎(にしだきたろう)のそれであり、1919年西田の招きにより京都帝国大学文学部助教授に就任。その後は本格的な哲学的論文を陸続と発表。西田教授最後の独創的な「絶対無の場所」の哲学の講義とともに「京都学派」の黄金時代を開くようになる。
[高山岩男 2016年9月16日]
西田の停年退職とともに教授となるが、このころより漸次「西田哲学」と趣(おもむき)を異にする哲学的立場が芽生え、やがて「田辺哲学」ともよぶべきものが育成されていく。田辺の講義には大教室がほとんど満員となり、卒業生の数が相当多かった。そのなかには左翼転向の士もおり、田辺は「種の論理」を提唱するようになる。京都帝国大学の機関誌『哲学研究』に連載された「社会存在の論理」(上中下、1934~1935)、「種の論理と世界図式」(1935)、「論理の社会存在論的構造」(1936)等の論文がこれで、西田哲学の場所的論理が「場所」と「個物」の二元構造にたつのに対し、その間に「種」を入れ、「類」「種」「個」の三元構造を唱える論理である。これで田辺は西田哲学に批判的態度をとるようになるが、「種」のもとに田辺の念頭に存したのは「階級」(マルクス主義)と「人種」(ナチス)なのであった。
[高山岩男 2016年9月16日]
世界は大動乱の兆しを呈し、日本国内もまた自由思潮と共産思想の弾圧となり、文部省内には教学局が新設されて、言論も教育も表面では自由な表現は危険な時代となった。ついに日本の参戦とともに第二次世界大戦となり、日本の敗戦で全体主義はいちおうその猛威に終了を告げた。田辺は1945年(昭和20)終戦の年の3月で停年退職、自由の身となって群馬県北軽井沢の山荘に移住し、終生この地を離れなかった。翌1946年『懺悔道(ざんげどう)としての哲学』を刊行して注目されたが、これは1944年に京大で行った「懺悔道」と題する講演を基にしたものであった。そして京大時代の教え子の少数には毎夏講義を開き、また、「種の論理」を基盤に据えて、政治から宗教、芸術、科学に至る広範な分野に発言した。1950年に文化勲章受章、1957年西ドイツ(当時)のフライブルク大学創立500年記念の名誉博士号を受けた。1959年実存主義哲学者ハイデッガーの『70歳記念論文集』へ依頼を受けて、Todesdialektik(「死の弁証法」。『生の生存学か死の弁証法か』の一部分)を寄稿。昭和37年4月29日、77歳で死去。宗教に独自の見解をもつ哲学者としていわゆる葬儀を行うことを固く禁じ、邸内に、約10年前に死去した夫人とともに埋葬され、夫妻の記念碑が建っている。
著書・論文、講演・講義の類は『田辺元全集』15巻にすべて収録。
[高山岩男 2016年9月16日]
『『田辺元全集』全15巻(1963~1964・筑摩書房)』
大正・昭和期の哲学者 京都帝国大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
哲学者。東京に生まれ,東京帝大で数学と哲学を学び,東北帝大講師を経て,1927年京都帝大哲学科教授となる。西田幾多郎とともに日本の哲学に一画期を築き,その哲学はしばしば〈田辺哲学〉と称せられる。はじめ大正期の日本の哲学に大きな影響を与えた新カント学派の哲学に学びつつ,近代科学の批判的考究を行ったが,その後西田幾多郎の影響下にカント,ヘーゲルなどドイツ観念論を研究した。やがて昭和期に入ってマルクス主義が日本の思想界に強い影響を与えるようになると,これと批判的に対決しつつ,観念弁証法と唯物弁証法をともに超える〈絶対弁証法〉を主張した。そしてこの立場から34年に《社会存在の論理》を発表し,〈種の論理〉を提唱した。それは,西田哲学を批判して田辺哲学の独自の立場を明確にしたもので,西田哲学が個と全体(一般者,類)の関係をとらえるのに歴史的(現実的)媒介を欠くことを批判し,その媒介者として歴史的,具体的な社会存在(種)を導入するものであった。その種は民族や国家であったから,折からの戦争に対応する国家哲学を提供することともなった。第2次大戦後《懺悔道としての哲学》(1946)を発表してこのような自己の哲学を反省したが,その後も《政治哲学の急務》(1946),《哲学入門》4巻(1949-52)など活発な著作活動を行った。50年文化勲章受章。
執筆者:荒川 幾男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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1885.2.3~1962.4.29
大正・昭和期の哲学者。東京都出身。東大卒。1913年(大正2)東北帝国大学理学部講師,19年京都帝国大学文学部助教授。22年渡欧し,主としてフッサールに学び24年帰国。27年(昭和2)京都帝国大学文学部教授。日本における科学哲学の先駆者。日中戦争直前に西田哲学批判として構想された「種の論理」は,戦争遂行に哲学的基礎を与えることになったが,敗戦の前年「懺悔道」の境地を得,戦後は研究と思索に専念した。学士院会員。文化勲章受章。「田辺元全集」全15巻。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…現代の連続問題の研究は急速に進展している。日本でも数理哲学は着実な成果をあげており,田辺元《数理哲学研究》(1925),下村寅太郎《無限論の形成と構造》(1944),永井博《数理の存在論的基礎》(1961)と続く思想の系譜が成立している。また近時の分析哲学も数理哲学と深くかかわっている。…
※「田辺元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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