日本歴史地名大系 「由仁村」の解説
由仁村
ゆにむら
明治二五年(一八九二)から昭和二五年(一九五〇)まで存続した夕張郡の村。東部は山岳地域で、西部は夕張川沿岸の肥沃な原野が広がるが、その南部は胆振国にまたがって上層が黒色腐植土、下層は火山灰の瘠土となっている(状況報文)。「丁巳日誌」(由宇発利日誌)にみえる「ユウニ」は由仁ないしは由仁川のことで、一八五七年(安政四)七月、松浦武四郎は夕張川流域を探検、当地に宿泊している。明治七年ユーニ(由仁川)の測量が行われ、停脚所は五〇ヵ所、測量里数は三里であった(「ケプロン報文」ワスソン測量報文)。「撰定第二報文」には夕張川沿岸原野として「川畑岩内間原野」があげられている。南は夕張炭山の鉄道線路、北は字岩内にかかり、東は高丘およびベリベツ川、西は夕張川が境で面積六一八万一千三二〇坪(平地一二九万四千五六〇坪・湿地二三六万九千七二〇坪・高丘地二五一万七千四〇坪)。明治二五年三月一日、北海道庁令第五号をもって由仁村が設置され、同時に由仁村戸長役場が置かれた。翌二六年二月、角田村・登川村・長沼村を管轄する由仁村外三ヶ村戸長役場となる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報