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根津嘉一郎 ねづ かいちろう

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

根津嘉一郎

山梨市(当時、正徳寺村)生まれ。投機家の若尾逸平雨宮敬次郎らと「甲州財閥」をなし、同館によると判明分だけでも136社に投資・経営参加。電力、金融・保険、紡績など多岐の業種に渡った。特に鉄道経営では東武鉄道の再建や国内初の地下鉄開通に携わり、「鉄道王」と呼ばれた。

(2011-02-17 朝日新聞 朝刊 山梨全県 2地方)

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デジタル大辞泉の解説

ねづ‐かいちろう〔‐カイチラウ〕【根津嘉一郎】

[1860~1940]実業家。山梨の生まれ。東武鉄道をはじめ多くの事業を発展させたほか、文化事業にも関心をいだき、武蔵高等学校武蔵大学の前身)を創立。没後、収集品の寄付によって東京青山に根津美術館が設立された。

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百科事典マイペディアの解説

根津嘉一郎【ねづかいちろう】

実業家。山梨県出身。初め地方政治家として活動,1904年以来衆議院議員にしばしば当選。1929年徳富蘇峰のあとを受けて国民新聞社長に就任。また1905年東武鉄道会社の社長となり,日光・鬼怒川を観光地として開発,また東京地下鉄など20数社に関係し根津コンツェルンを築いた。
→関連項目富国生命保険[相互会社]

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朝日日本歴史人物事典の解説

根津嘉一郎

没年:昭和15.1.4(1940)
生年:万延1.6.15(1860.8.1)
明治大正期の実業家。鉄道王と呼ばれた。質屋,種油業兼営地主・根津家の次男として甲斐国(山梨県)に生まれ,20歳で上京,漢学を学んだ。帰郷後山梨同志会などを作って地方政界で活躍,明治37(1904)年から4期衆院議員,昭和1(1926)年からは貴族院議員を務めた。実業家としては同郷の若尾逸平の影響を受け,明治25,26年ころから株式投資に熱中し,財産を作った。利ザヤだけでなく経営にも興味を持ち,東武鉄道,太平生命保険,昭和火災保険,富国徴兵保険,帝国石油,日清製粉などの社長,東京電燈,東京市街鉄道,南海鉄道,磐城セメントなどの重役を兼任した。特に東武鉄道の経営には全力を注ぎ,38年請われて社長に就任,路線延長によって経営再建して以来,死ぬまで社長職にあった。私財で武蔵高校(武蔵大学)や根津化学研究所を設立したこと,集めた美術品が没後根津美術館になっていることを考え合わせると,一介の株屋とか経営者とかでは片付かない人物だった。<参考文献>根津翁伝記編纂会編『根津翁伝』

(齋藤憲)

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世界大百科事典 第2版の解説

ねづかいちろう【根津嘉一郎】

1860‐1940(万延1‐昭和15)
実業家。甲斐国(山梨県)に生まれた。1877年,18歳で東山梨郡役所書記となり,89年の村会議員をふりだしに郡会,県会の各議員に当選,地方政界で活躍した。97年に東京に出て実業界に身を投じ,1905年には当時苦境にあった東武鉄道の社長となり,経営を再建した。また20余の鉄道の経営に参加し,15年には鉄道同志会副会長(のちに会長)に就任するなど鉄道界に重きをなし,〈鉄道王〉と呼ばれたが,本拠は一貫して東武鉄道にあり,その広域観光地(日光・鬼怒川)の開発は,私鉄経営の一つのモデルとなった。

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大辞林 第三版の解説

ねづかいちろう【根津嘉一郎】

1860~1940) 実業家・政治家。甲斐の人。帝国石油・東武鉄道・国民新聞などの社長を歴任。武蔵高校(現武蔵大学)を創立する他、美術品の収集にも力を注いだ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

根津嘉一郎
ねづかいちろう

[生]万延1 (1860).6.15. 甲斐
[没]1940.1.4. 東京
明治・大正期の実業家。いわゆる甲州財閥の一人で,若くして上京して漢学を学び,郷里に戻って地方政界で活躍した。1897年再び上京,同郷の若尾逸平の影響を受け,株式投資で一財を築く。株の所有を通して東京電灯,東京市街鉄道,南海電気鉄道東京瓦斯日清製粉日清紡績など多方面の企業の重役を兼ねた。雨宮敬次郎の薫陶を受け,社会に役立つ事業として,倒産寸前だった東武鉄道の経営に 1905年から従事。利根川架橋を完成させ路線を日光,鬼怒川へと延長し,その後の私鉄経営の指針となるなど,「鉄道王」と呼ばれた。1904年から衆議院議員,1926年貴族院議員に勅選。学術文化活動でも知られ,1921年に私財を投じて武蔵高等学校(→武蔵大学)を設立,没後には所蔵古美術を公開した根津美術館東京都港区に設立された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

根津嘉一郎
ねづかいちろう
(1860―1940)

日本の「私鉄界の雄」といわれた企業家。甲斐国(かいのくに)(山梨県)出身。豪農の次男に生まれる。若くして政治家を志し、県会議員や村長を務めたが、そのかたわら、全国に名の知れていた同郷の投機家、若尾逸平の助言から、東京での「乗り物」と「明かり」を対象とした株式投機に手を出し、「相場師嘉一郎」とよばれるようになった。しかし東京移住後、同郷の先輩投機家であった雨宮敬次郎(あめみやけいじろう)に忠告されて事業家への転身を目ざした。1905年(明治38)業績不振にあった東武鉄道の社長に就任、「豪胆にして、かつ細心」の企業家として、東武鉄道を私鉄業界屈指の大企業に発展させたほか、多数の私鉄、保険、食品製造企業の経営に関与した。晩年には武蔵(むさし)高等学校(武蔵大学の前身)を設立するなど文化公共事業にも関心を向けた。生前に収集した古美術品をそろえた根津美術館が没後設立された。2代目嘉一郎(1913―2002)は長男。幼名藤太郎。1941年(昭和16)から1994年(平成6)まで東武鉄道社長、1960年から1990年まで東武百貨店社長を務めた。[四宮俊之]
『鳥羽欽一郎編『財界人の教育観・学問観』(『財界人思想全集7』所収・1970・ダイヤモンド社)』

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世界大百科事典内の根津嘉一郎の言及

【甲州財閥】より

…明治から昭和の初めにかけて財界に一大勢力を占めた山梨県出身の資本家群に対する俗称。若尾逸平,雨宮敬次郎,根津嘉一郎などがその代表で,郷党意識で結ばれていたことから世人は甲州財閥と呼んだ。財閥本来の意味からいう財閥ではない。…

【コレクション】より

…明治時代後期に至って日本の資本主義が成長すると,実業家の中からコレクターが現れた。こうした中で特筆すべきは益田孝,原富太郎,根津嘉一郎,岩崎弥之助,小弥太親子らである。三井財閥をとりしきった益田孝(鈍翁,1848‐1938)は茶人としても知られ,仏教美術,古書画,茶道具の膨大で質の高い収集をなした。…

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