畑井新喜司(読み)はたいしんきし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「畑井新喜司」の意味・わかりやすい解説

畑井新喜司
はたいしんきし
(1876―1963)

動物生理学者。青森県生まれ。東北学院理学科卒業後、五島清太郎(ごとうせいたろう)教授の助手となり、貧毛類の研究に入ったが、23歳で渡米。シカゴ大学大学院を経て特待生となり、動物学・神経生理学を専攻し博士号を受け、比較神経学という当時最先端の講座を分担した。ついでペンシルベニア大学付属ウィスター研究所講師に招かれ、準教授、教授へ昇進。1919年(大正8)東北帝国大学理学部に動物・植物両学科増設が決した際、主任教授の交渉を文部省より受け、2年後に帰国し、日本初の生物学教室の創設にあたった。他大学に先んじて動物生理学・比較生理学の講座を開設して第1講座を担当した。1925年「シロネズミの神経生理学的研究」で学士院賞受賞。カキミミズを対象に多くの動物生理学者を育成、地震ナマズの研究も残した。パラオに熱帯生物研究所を設立し、オーストリアの植物学者H・モーリッシュ、アメリカの動物学者チャイルドCharles Manning Child(1869―1954)ら外国の学者を教室に講師として招いた。古生物学者の畑井小虎(ことら)は次男

[永野為武]

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20世紀日本人名事典 「畑井新喜司」の解説

畑井 新喜司
ハタイ シンキシ

明治〜昭和期の動物学者 東北帝大名誉教授。



生年
明治9年3月2日(1876年)

没年
昭和38(1963)年4月19日

出生地
青森県平内町小湊(現・小湊町)

学歴〔年〕
東北学院理科〔明治31年〕卒,シカゴ大学大学院〔明治36年〕修了

学位〔年〕
哲学博士〔明治36年〕

主な受賞名〔年〕
帝国学士院賞〔大正14年〕「白ネズミに関する研究」

経歴
第一高等学校助手となり、五島清太郎教授に師事。明治32年渡米、シカゴ大学で神経生理学を学び、ドクトル・オブ・フィロソフィ取得、ペンシルベニア大附属ウィスター研究所教授となった。大正10年帰国、東北帝大教授となり、生物学教室開設、浅虫臨海実験所開設に尽力し初代所長に就任。13年名誉教授。その後、パラオ熱帯動物研究所長、斎藤報恩会学術研究部長、渡辺学園理事長、東京家政大学初代学長などを務めた。マウスの学名決定など白ネズミの研究により、白ネズミが動物実験材料として使用されるようになった。著書に「みみず」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畑井新喜司」の解説

畑井新喜司 はたい-しんきし

1876-1963 明治-昭和時代の動物生理学者。
明治9年3月2日生まれ。畑井小虎の父。明治32年渡米してシカゴ大でまなび,ペンシルベニア大教授。大正10年帰国し,東北帝大教授となり生物学教室,浅虫臨海実験所を創設。シロネズミに関する研究で14年学士院賞。のち東京家政大学長。昭和38年4月19日死去。87歳。青森県出身。東北学院卒。

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367日誕生日大事典 「畑井新喜司」の解説

畑井 新喜司 (はたい しんきし)

生年月日:1876年3月2日
明治時代-昭和時代の動物学者。東北帝大教授;東京家政大学学長
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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