20世紀日本人名事典 「畑耕一」の解説 畑 耕一ハタ コウイチ 大正・昭和期の小説家,評論家,劇作家,俳人 生年明治29(1896)年5月10日 没年昭和32(1957)年10月6日 出生地広島市 別名別号=蜘盞子(チサンシ),汝庵 学歴〔年〕東京帝大英文科〔大正7年〕卒 経歴東京日日新聞記者となり、大正2年三田文学に「怪談」を発表、次いで「おぼろ」「道頓堀」など永井荷風らの影響を受けた耽美的作品を書いた。13年松竹キネマに入社、映画演劇などに活躍。一方大正末「十六夜会」、のち「ゆく春」などの俳誌に参加。昭和9年「海蝶」創刊、俳句批評文を書いた。小説「棘の楽園」「陽気な喇叭卒」「女たらしの昇天」「夜の序曲」、戯曲集「笑ひきれぬ話」のほか「劇場壁談議」、句集「露坐」「蜘蛛うごく」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畑耕一」の解説 畑耕一 はた-こういち 1896-1957 大正-昭和時代の小説家,評論家,劇作家。明治29年5月10日生まれ。「東京日日新聞」記者をへて,大正13年松竹キネマに入社。企画と脚本を担当するかたわら戯曲,劇評,大衆小説などを執筆した。昭和32年10月6日死去。61歳。広島県出身。東京帝大卒。小説に「棘(とげ)の楽園」「夜の序曲」,戯曲集に「笑ひきれぬ話」など。【格言など】春愁に指のひとつは鳴らざりき(「蜘蛛(くも)うごく」) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by