畠山太助(読み)はたけやまたすけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「畠山太助」の意味・わかりやすい解説

畠山太助
はたけやまたすけ
(1816?―1873)

1853年(嘉永6)盛岡藩領三閉伊(さんへい)地方で起こった一揆(いっき)の指導者の一人。陸奥(むつ)国(岩手県)野田通田野畑(たのはた)村の人。藩の苛政(かせい)49か条と領主交替または仙台領か幕府領への変更要求を掲げて一万数千人が蜂起(ほうき)、約8000人が仙台領唐丹(とうに)へ逃散(ちょうさん)した一揆で、交渉のため残留した45人の代表に加わり、指導的役割を果たして藩政改善をかちとった。のち地租改正反対運動の首謀者として拷問され盛岡縊死(いし)。

[難波信雄]

『森嘉兵衛著『南部藩百姓一揆の研究』(1974・法政大学出版局)』

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関連語 研究

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畠山太助」の解説

畠山太助 はたけやま-たすけ

1816-1873 幕末-明治時代の一揆(いっき)指導者。
文化13年生まれ。陸奥(むつ)閉伊(へい)郡(岩手県)田野畑村農民。嘉永(かえい)6年(1853)盛岡藩領の三閉伊(さんへい)地方でおこった一万数千人による百姓一揆を指導。一揆は仙台藩斡旋(あっせん)で成功し,盛岡藩の藩政を改善させた。明治6年地租改正反対運動の首謀者として取り調べをうけ,同年5月28日自殺。58歳。名は多助とも。

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