畠山重保(読み)はたけやましげやす

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「畠山重保」の意味・わかりやすい解説

畠山重保
はたけやましげやす

[生]?
[没]元久2(1205).6.22. 鎌倉
鎌倉時代初期の武将畠山重忠の子。六郎と称した。讒言のため討たれた。美男英雄として名高く,源頼朝を誤って刺殺し,頼家に憎まれて竜宮へおもむいたという伝説が生じ,真山青果の『頼朝の死』などに登場する。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畠山重保」の解説

畠山重保 はたけやま-しげやす

?-1205 鎌倉時代の武将。
畠山重忠の長男。母は北条時政の娘(政子の妹)。元久元年時政の後妻牧の方の娘婿京都守護平賀朝雅(ともまさ)と酒宴の席で口論。これを口実に時政ら北条軍に攻められ,翌2年6月22日鎌倉由比ケ浜で殺された。通称は六郎。

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世界大百科事典(旧版)内の畠山重保の言及

【牧氏の変】より

…牧の方は,長年平頼盛に仕えて駿河国大岡牧を預けられた大岡(牧)宗親の娘で,時政との結婚は1182年(寿永1)以前にさかのぼる。1204年(元久1)11月,京都守護として在洛中の朝雅が酒宴の間に畠山重保(重忠男)と争い,重保を牧の方に讒訴,翌年6月時政夫妻は義時,時房らの制止にもかかわらず,重忠・重保父子を滅亡させた。ついで閏7月牧氏の変に及んだが,今度は政子・義時が事前に実朝を保護したために失敗。…

※「畠山重保」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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