朝日日本歴史人物事典 「畠山重保」の解説
畠山重保
生年:生年不詳
鎌倉前期の武将。関東平氏秩父氏の一流で,武蔵国留守所総検校畠山重忠の嫡男。母は北条時政の娘。通称六郎。武蔵国最有力御家人の嫡流に生まれ,執権時政の外孫として威を振るう。時政の後妻牧の方の娘婿平賀朝雅との口論事件がきっかけで,同族稲毛重成(時政の娘婿)ら敵対勢力に狙われ,元久2(1205)年,鎌倉由比が浜で三浦一族らに謀殺される。同時に武蔵国内で父も稲毛重成に討たれ,畠山一族は滅亡した。<参考文献>永井晋「鎌倉初期の武蔵国衙と秩父氏族」(『埼玉県立歴史資料館研究紀要』7)
(海津一朗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報