日本歴史地名大系 「疑野」の解説 疑野ねぎの 大分県:竹田市菅生村疑野「豊後国風土記」にみえる原野で、柏原(かしわばる)郷の南にあったとする。同書には昔、景行天皇が行幸の時、「此の野に土蜘蛛あり。名を打、八田、国摩侶という三人なり。天皇、親ら此の賊を伐たんと欲して、茲の野にあり、勅して兵士を歴く労ぎたまう。因って禰疑野というは是なり」との記述がみえる。また「日本書紀」景行天皇一二年一〇月条では「直入県(なおりのあがた)の禰疑野に三の土蜘蛛あり」とし、「打を討たむとしてに禰疑山を度る。時に賊虜の矢、よこしまに山より射る。官軍の前に流れること雨のごとし」「先ず八田を禰疑野に撃ちて破る。ここに打え勝つまじと謂いて、服さむと請う。しかれども聴したまわず。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by