日本歴史地名大系 「白石山城跡」の解説
白石山城跡
しらいしさんじようあと
「若狭郡県志」に「伝承称粟屋右衛門大夫居焉、而領和田・上車持・下車持・馬居寺等之民村、矣」とあり、城主は粟屋党の一族であったことが知られる。「蔭涼軒日録」延徳二年(一四九〇)七月七日条に「自粟屋右衛門大夫海松一俵贈之」とみえるが、この人物とのちの右衛門大夫との関係は不明。なお、郡県志がいう右衛門大夫は、一説に丹後国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報