白石山城跡(読み)しらいしさんじようあと

日本歴史地名大系 「白石山城跡」の解説

白石山城跡
しらいしさんじようあと

[現在地名]高浜町馬居寺

青戸あおと入江に向かって南から北へ張出す高さ約一八五メートルの白石山頂に主郭を配する。南北に一九〇メートル、最大幅二〇メートル、大飯郡に点在する山城の中では残存状態の良好な遺構の一つであり、規模も大きい。様式から戦国期の終り頃の築城と考えられている。

「若狭郡県志」に「伝承称粟屋右衛門大夫居焉、而領和田・上車持・下車持・馬居寺等之民村、矣」とあり、城主は粟屋党の一族であったことが知られる。「蔭涼軒日録」延徳二年(一四九〇)七月七日条に「自粟屋右衛門大夫海松一俵贈之」とみえるが、この人物とのちの右衛門大夫との関係は不明。なお、郡県志がいう右衛門大夫は、一説に丹後国加佐かさ泉源寺せんげんじ(現京都府舞鶴市)の高屋城城主粟屋丹後守の嫡子で、天文年中(一五三二―五五)に当城を築いたともいう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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