白鹿城跡(読み)しらがじようあと

日本歴史地名大系 「白鹿城跡」の解説

白鹿城跡
しらがじようあと

[現在地名]松江市法吉町

松江市法吉ほつき町の一角にある標高一五四メートルの白鹿山頂にあった戦国期の山城。白髪とも記す(推定慶長一七年一月九日「小川信秀軍忠付立」閥閲録など)。まだ十分な調査が行われていないが、遺構として頂上部に本丸および月見つきみ御殿とよばれる平坦地があり、三の床・二の床・一の床がこれに続いている。中腹に井戸跡があり、東側の谷には毛利元就が石見銀山坑夫に命じて地下道を掘らせ井戸水を抜いたと伝えられる水の手みずのてとよばれる場所がある。築城時期は明らかでないが、歴史上とりわけ大きな注目を集めたのは毛利氏が尼子氏討滅のために出雲に進出した永禄五年(一五六二)から翌年にかけての初期尼子・毛利合戦の際である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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