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百地三太夫 ももち さんだゆう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

百地三太夫 ももち-さんだゆう

伝承上の忍者。
寛文(1661-73)ごろの読み本「賊禁秘誠談」に,伊賀(いが)(三重県)の郷士で石川五右衛門の忍術の師として登場。立川文庫では伊賀流忍術の祖として創作され,五右衛門のほかに霧隠才蔵を弟子とした。史実上の近似の人物としては,天正(てんしょう)9年(1581)織田信長の伊賀攻めに敗れた土豪百地丹波守が知られている。

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朝日日本歴史人物事典の解説

百地三太夫

生年:生没年不詳
戦国時代の忍者。伊賀流(百地流)忍術の創始者といわれ,伊賀三上忍のひとり。伊賀国(三重県)名張中村の百地清右衛門の嫡男として生まれ,百地丹波三太夫泰光と名乗った。『伊乱記』には,天正9(1581)年名張の柏原合戦で奮戦して織田信長の軍を悩ませたとの記述がある。伝承ではこの合戦で戦死した説と,十数年後まで生存した説がある。同姓同名の甥がいたため経歴が混同されているが,弟子に石川五右衛門がおり,伊賀流忍術の極意は霧隠才蔵に伝授したとも伝わる。名張市竜口に百地屋敷とされるものが残っており,上野市喰代にも遺跡と子孫の百地三之丞が享保年間(1716~36)に建立した供養塔(青雲禅寺)がある。

(名和弓雄)

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